10月8日説教「神によってエジプトに遣わされたヨセフ」

2023年10月8日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記45章1~28節

    使徒言行録7章9~16節

説教題:「神によってエジプトに遣わされたヨセフ」

 きょうの礼拝で朗読された創世記45章では、37章から始まったヨセフ物語のクライマックスとも言うべき感動的な場面が展開されています。ヨセフはここで、20数年前に分かれた11人の兄弟たちに自分の身を明かし、彼らとの涙の再会をします。1節に、「ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かした」とあり、2節には、「ヨセフは声をあげて泣いた」と書かれています。また、14節、15節にはこう書かれています。【14~15節】。ヨセフにとって11人の兄弟たちとの再会がいかに感動的であったことか、特に、ただ一人の弟ベニヤミンとの再会がどれほどに感動的であったことか、熱い涙と抱擁なしにはなしえなかったものであったということを、聖書は繰り返して強調しています。

 彼らがどうして別れなければならなかったのか、20数年前に彼らにどのようなことがあったのかを知っているわたしたちには、彼らの感動と涙の意味はよく理解できます。少し過去へと振り返ってみましょう。

 族長ヤコブの年寄子として生まれたヨセフは、父からの特別な愛を受け、他の兄弟たちからはねたまれていました。しかも、生意気で、夢見る少年であったヨセフは、父と母と11人の兄弟たちがみな自分の前にひれ伏して自分を拝んでいる夢を見たと話したために、兄たちの怒りと憎しみは頂点に達し、ついに彼らはヨセフをエジプトに向かう商人たちに売り渡してしまいました。そして、父ヤコブにはヨセフは野獣に食い殺されてしまったと報告しました。それ以来、ヨセフの消息は20数年間、彼らには全く分かりませんでした。

 一方、ヨセフはエジプトの高官の奴隷として仕え、主人の信頼を得ていましたが、根拠のない嫌疑をかけられ、投獄されてしまいます。ヨセフは異教の地で、家族から離れ、生きるか死ぬかもわからないまま、暗い牢獄の中で不安と試練の日々を送ることになったのでした。

 しかし、主なる神はエジプトのヨセフとも共におられ、彼をお見捨てになりませんでした。彼をお用いになって、新しくエジプトの地において救いのみわざを前進させてくださいます。

 ヨセフは神から与えられた知恵によって、エジプト王ファラオの夢を解き明かし、その知恵が王に認められたために、ファラオに用いられてエジプト全土の総理大臣の位につかされました。ヨセフの知恵によって、7年間の豊作の間にエジプトの倉庫は穀物で満杯になり、続く7年間の飢饉に備えました。

 カナンの地にも飢饉は広がり、ヤコブはエジプトにある食料を買うために子どもたちを派遣します。第1回目には、末の子ベニヤミンを除いて10人の子どもたちで出かけました。彼らはエジプトで自分たちがひれ伏して食糧を買い求めた大臣が、かつて自分たちが売り渡したヨセフだとは全く気づいていませんでした。ヨセフは次に来るときには末の子も一緒に連れて来なければならないと命じました。

 そして翌年、ベニヤミンを加えた11人の子どもたちは再び食糧を求めてエジプトの大臣ヨセフの前にひれ伏しました。ヨセフが子どものころに見た夢が実現しました。その2回目のエジプト訪問のことが、43~44章に詳しく記されています.その続きがきょうの45章です。そこで初めて、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かしました。3節にはこのように書かれています。【3節】。このようにして、兄弟12人全員の感動的な再会の場面が描かれていくのです。

 けれども、ここでわたしたちはもう一つのことに注目しなければなりません。ヨセフと11人の兄弟たちの再会を感動的にしているのは、彼らの不思議な運命のめぐりあわせとか、しばらく離れていた肉親の情とかによるのではなく、あるいはまた、ヨセフに対する兄たちの憎しみや悪意、ヨセフ自身が経験した多くの試練、あるいは幸運とかの、それぞれのこれまでの起伏に富んだ人生の歩みとかによるのでもなく、それらのすべてを越えて働いている主なる神のみ手、神のみ心、神の導きこそが、この章では何度も語られており、強調されているということ、それこそがこの章全体を大きな感動で包んでいるのだということ、そのことにわたしたちは気づかされるのです。

 そのことが4節以下で、ヨセフの信仰告白として語られています。【4~8節】。ここに語られている内容は、37章から始まったヨセフ物語の中心的な意味であり、テーマであり、それはまたヨセフのこれまでの信仰の歩みを振り返っての信仰告白でもあります。さらにまた、それは新約聖書と旧約聖書全体を貫いている聖書の中心的なテーマであると言ってもよいでしょう。もう一度確認してみましょう。【5節b】。【7節】。そして【8節a】。三度も同じ内容が繰り返されています。これらの文章の主語はいずれも神です。しかも、人間たちの様々な悪意や憎しみや罪、あるいは苦難や試練の数々を越えて、それらを貫いてみ心を行なわれた主なる神が、すべての文章の主語です。すべての出来事、すべての事柄の主語です。その主なる神がわたしをこのように導いてくださったのだということを、ヨセフは繰り返して告白しているのです。

 ヨセフは自分が兄たちによってエジプトに売り飛ばされたということを忘れてしまったのではありません。4節では、「わたしはあなたたちがエジプトに売った弟のヨセフである」と言っています。にもかかわらず、自分は神によってここに遣わされたのであって、それは神があなたがたの命を救うために、あなたがたの子孫を地に残すため、そのようになさったのだと告白しているのです。これは一体どういう意味なのでしょうか、なぜ、ヨセフはそう言うことができたのでしょうか。そのことをきょうのみ言葉から読み取っていきましょう。

 まず第一に言えることは、ヨセフはここで人間のはかりごとや行動ではなく、神のご計画、神の摂理、神のみわざを見ているということです。なぜならば、神の永遠なる摂理に基づいた神のみわざこそが、人間たちのすべてのはかりごとや行動を越えて、ヨセフの人生を導き、また人間の歴史を導いているということをヨセフは信じ、また今その現実を実際に見ているからです。すなわち、兄弟たちがヨセフをねたみ、憎しみを募らせて彼に悪しき計略をたくらんだにもかかわらず、神は20年の歳月を経て、今ここに兄弟たち全員を和解へと導かれ、しかも、かつて兄弟たちによって命を狙われ、売られたヨセフを、今は彼らの命を救うヨセフとなしたもうたからです。人間たちのどのような悪しき計略や罪のわざも、また苦難や試練も、神のご計画、神の救いのみわざを変えることも、止めさせることもできないのです。むしろ、神はそれらのすべてをお用いなって、それらのすべてを神の救いのみわざとなしてくださるのです。

 創世記最後の章で、ヨセフはもう一度このように言います。【50章19~20節】(93ページ)。また、使徒パウロはローマの信徒への手紙8章28節でこのように書いています。「神を愛する者たち、つまり、御計画にしたがって召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」。神がわたしたちの人生を導かれる主でありたもうとき、また神が歴史の支配者であられる時、わたしたちもまたヨセフと共に,パウロと共に、そのように信じ、告白することができるのです。

 わたしたちはさらに進んで、主イエス・キリストの十字架の福音に思いを至らせるでしょう。当時のユダヤ人指導者たちが、またローマの総督が、こぞって神を冒涜する者、世を混乱させる者として裁き、十字架刑に処した主イエスを、神は全世界のすべての人の罪を贖い、その罪をゆるす救い主としてお立てくださり、この主イエス・キリストによってご自身の救いのご計画を最後の完成へと至らせたもうたのです。そのようにして神は族長アブラハム、イサク、ヤコブとその12人の子どもたちによって着々と押し進められてきた救いのみわざを成就されたのです。

 創世記45章のヨセフの信仰告白の基礎になっているもう一つのことは、7節に暗示されています。【7節】。この言葉は、わたしたちが創世記12章から繰り返して聞いてきた神の約束のみ言葉を思い起こさせます。創世記12章2節で神はアブラハムにこのように言われました。【12章2節】(15ページ)。また13章16節ではこう約束されました。【13章16節】。これをアブラハム契約と言います。この契約はアブラハムの子イサクへ、さらにその子ヤコブへ、そしてヤコブの12人の子どもたちによって形成されるイスラエルの民ヘと受け継がれていきました。ヨセフは今その神の約束のみ言葉、神の契約を確認しているのです。神の約束はエジプトと全国を襲った大飢饉の中でも有効に生きています。神の約束のみ言葉は、今食糧難にあるヤコブ一家の命を救うだけでなく、全世界のすべての人を罪と死とから救い、まことの命へと、永遠の命へと導くことによって、その最終目的に達するのです。

 9節以下で、ヨセフは兄たちに言います。「カナンの地に帰ったら、父ヤコブを連れて、一族みんなでエジプトに移住してきなさい。エジプトの最も良い地をみんなのために用意するから」と。

 このようにして、ヤコブ・イスラエルの12人の子どもたち全員がエジプトに移住することになったのでした。しかし、もちろんエジプトが彼らの最終目的地ではありません。さらにそれから400年以上のエジプトでの寄留の生活を経て、彼らイスラエルの民は指導者モーセと共にエジプトの奴隷の家を脱出し、荒れ野の40年間の旅を経て、神の約束の地カナンへと帰っていくことになります。それからさらに千数百年のイスラエルの民の歴史を導かれた主なる神は、ついにこの民の中からメシア・救い主をお遣わしになるという、壮大な神の救いの歴史が展開されていくのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、わたしたちは創世記のみ言葉をとおして、あなたの永遠なる救いのご計画を知らされました。あなたは今もなお、その救いの歴史を導いておられます。今この世界はあなたのみ心から離れ、不義と邪悪に満ちているように見えますが、あなたは見えざるみ手をもって、この世界とその中に住む一人一人の歩みを導いておられます。どうか、あなたのみ名があがめられ、あなたのみ心が地にも行われますように。

○主なる神よ、あなたがこの世からお選びくださり、お建てくださった主キリストの教会もまた、多くの破れを持ち、痛み、弱っています。どうぞ、あなたを信じる民を強めてください。あなたのみ言葉によって力と勇気と希望とをお与えください。この時代の中で、それぞれの建てられている国や地域で、主キリストの福音を大胆に語り、あなたのご栄光を現わしていくことができますように。その群れに連なっている一人一人にあなたからの豊かな祝福が与えられますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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