11月19日説教「契約の民イスラエルのエジプト移住」

2023年11月19日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記46章1~7、28~34節

    ヘブライ人への手紙11章13~16節

説教題:「契約の民イスラエルのエジプト移住」

 創世記37章から始まった「ヨセフ物語」は、彼の波乱に満ちた20数年の生涯を経て、きょう朗読された46章になって、当初は全く予想もされなかった結末へと至ることになりました。46章と47章には、ヨセフを頼ってエジプトへ移住することになったヤコブ(すなわちイスラエル)一族のことが描かれています。きょうはイスラエル一族のエジプト移住というテーマについて、創世記のみ言葉を読みながら考えたいと思います。

 ヨセフの20数年の生涯を今一度簡単に振り返ってみましょう。彼はヤコブ(イスラエル)の12人の子どもの中で11番目に生まれました。父ヤコブの年寄子でしたから、特別に父の寵愛を受けて育てられました。そのことで、兄たちの反感と憎しみをかい、ヨセフはエジプトに奴隷として売り飛ばされることになりました。この時から、まだ若かったヨセフは父や兄弟たちから離れて、故郷のカンナの地からも離れ、異教の地エジプトでの孤独と不安の中での、試練と困難に満ちた歩みを始めることになりました。

 けれども、主なる神はエジプトの地でもヨセフと常に共にいてくださり、彼を恵み祝し、彼に知恵をお与えになったので、ヨセフはエジプト王ファラオによって用いられ、エジプト国内の最高の地位である宰相・総理大臣の地位に就くことになりました。そして、彼が預言したように全世界を襲った7年間の大飢饉のときに、食料を求めてカナンからエジプトのやってきた11人の兄弟たちと宰相になったヨセフとが、全く不思議やめぐりあわせによって、20数年ぶりで再会したのでした。わたしたちは前回45章でその時のヨセフの印象深い和解の言葉を聞きました。もう一度その個所を読んでみましょう。

 【45章4~8節】。ヨセフは自分をエジプトに売り飛ばした兄たちに対して、自分の方から和解の手を差し伸べ、彼らの憎しみや悪を許しています。このヨセフの愛に満ちた信仰は、主なる神が常にエジプトで自分と共にいてくださり、最も良き道を備えてくださったという、神の大いなる恵みへの感謝の応答としての信仰なのです。子どものころの生意気で一人よがりの夢見る少年と言われていた小年ヨセフが、今や神によってこのように変えられたのです。

 11人の兄弟たちが二度目に穀物を求めてエジプトにやってきたときに、ヨセフはこれからも5年は続くであろう飢饉に備えて、父ヤコブとその一家のエジプト以上を勧めました。父ヤコブはずっと以前に死んだと思っていたヨセフがエジプトでまだ生きていたことを知り、死ぬ前にぜひ彼の顔を見たいという願いもあったので、エジプトへの移住を決断しました。

 【46章1節】。ヤコブ(イスラエル)は旅立つ際にまず神を礼拝します。族長ヤコブにとってこの礼拝は大きな意味を持っていました。何か新しい決断をして、新しい道を歩み始めようとする際に、神のみ心を問うことは、信仰者にとって重要です。人間的な思いや、この世的な利害だけを考えて人生の道を選択するのではなく、神のみ心をたずね求めつつ決断をすることは、わたしたちにとっても重要です。わたしたちが大きな決断を迫られたとき、あるいは道に迷ったとき、困難や不安に襲われた時、わたしたちがなすべき第一のことは、神を礼拝すること、神のみ言葉に聞き、神に祈り、神に服従することです。

 ヤコブにとってのエジプト移住は、彼の人生の中で、しかもわずかに残されている人生の晩年で、非常に大きな決断であったと言えます。長く続く飢饉から一族の命を守ることが族長の務めであり、また死んだと思っていた最愛の息子ヨセフの顔を最後に見たいという切なる願いもありました。

けれども、ヤコブには不安も残っていました。父祖アブラハム、イサクから受け継いだ神の契約に生きることが、ヤコブにとっての最も重要な使命であるということを、彼は忘れてはいません。神は父祖アブラハムにこう約束されました。「わたしはこの地カナンをあなたとあなたの子孫の永久の所有として与えるであろう」(12章7節、13章15節参照)と。しかし、神の約束の地カナンを離れて、異教の地エジプトに移住することは、この神との契約を破ることになるのではないか。そうなれば、神からの祝福を失ってしまうのではないか。ヤコブは神のみ心を聞かなければなりません。そのために、彼は神を礼拝するのです。

【2~4節】。神はヤコブの祈りに直ちに応えてくださいます。ここでは、ヤコブ一族がエジプトに移住することは神のみ心であるとはっきりと語られています。飢饉を避けて、あるいは父と最愛の息子との20数年ぶりの再会とか、そのような人間的な理由をはるかに超えて、主なる神が彼らをエジプトへと導かれるというのです。そして、彼らはエジプトで大いなる国民となると神は約束されます。さらに、神は再び彼らを約束の地に連れ戻すと言われます。ヤコブ(イスラエル)一族のエジプト移住は神のご計画であり、しかも神は異教の地エジプトにあっても彼らと共にいてくださり、彼らを契約の民として導かれ、それだけでなく、そこで彼らを養い育て、彼らを大いなる民に成長させてくださると言われるのです。

実は、この神の約束はすでにアブラハムに対して神がお語りになった約束だったのです。【15章13~14節】(19ページ)。神の幾世代にもわたり、幾世紀にもわたる壮大な救いの歴史が、創世記から出エジプト記へと連続していくことになるのです。否、それだけではありません。神の永遠の救いの歴史は、やがて全人類のための救い主である主イエスの誕生へと連続していくということを、わたしたちは知っています。

次に、46章8~27節には、きょうは朗読をしませんでしたが、ここにはエジプトに移住したヤコブ、すなわちイスラエルの全家族のリストが挙げられています。イスラエルの12人の子どもたちとその家族、合計70人であったと書かれています。出エジプト記1章5節にも70人という数字が書かれています。申命記10章22節にはこう書かれています。「あなたの先祖は70人でエジプトに下ったが、今や、あなたの神、主はあなたを天の星のように数多くされた」。

400年後、あるいは別の記録では430年後に、モーセに率いられてエジプトを脱出した民は60万人であったと出エジプト記12章37節に書かれていますが、これは随分と誇張した数であろうと多くの学者は考えているのですが、それにしても70人で移住したイスラエルの民がエジプトでの400年間にこれほどに増えたということを、聖書は語っています。神がアブラハムに約束されたとおりです。

イスラエルの民がエジプトでどのような信仰生活を送っていたのかについては、聖書の記録はありませんが、わずか70人で異郷の地エジプトに移住した彼らが、どのようにして彼らの信仰を守りとおしたのかを考えると、それは驚くほかにありありません。長い歴史を持つエジプト王国で、わずか70人のイスラエルの民が、2代3代と時を経るにつれて、エジプトの文化や宗教の中に溶け込んで、やがてエジプト人と区別がつかなくなり、エジプトの中に解消してしまうに違いないと、だれもが予想するでしょう。しかし、彼らは400年以上もの間、エジプトでイスラエルの民として生き続け、神の約束の民、信仰の民として増え続け、しかも神の約束のみ言葉を忘れることなく、再び約束の地カナンへと連れ帰ると言われた神のみ言葉が成就される時を待ち望んだのでした。神はその民イスラエルを、エジプトの地にあっても絶えず導かれ、養われたのでした。

46章28節以下には、父ヤコブ(イスラエル)とその子ヨセフとの20数年ぶりの再会の場面が描かれています。ヤコブは、最愛の子ヨセフは野獣に食い殺されたと、他の子どもたちからの報告を受けていましたので、彼は20数年前に死んだと思い込んでいました。そのヨセフが生きていたとは、しかもこのエジプトでそのヨセフと再会できるとは、全く予想もできないことでした。【29~30節】。この父と子の感動的な再会の場面を、聖書は感情を抑えるように、控えめに描いているように思われます。文学好きなわたしなら、もっといろんな言葉や表現を用いて、この親子の再会について描くだろうと思いますが、聖書は人間的な感情や心の動きについてはごく控えめです。しかし、そうであるとしても、ここに人間の予想や願いをはるかに超えた、主なる神の見えざるみ手が働いていたという大きな事実は、だれにも読み取ることができます。神は人間の計画とか、可能性とか、予想をもはるかに超えて、まさに奇跡として、この再会を導かれたのです。

「わたしはもう死んでもよい。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから」。30節のヤコブの言葉は、まさにそのことを言っているのです。父ヤコブは死んだと思っていた最愛の息子ヨセフに生きて再会できました。いわば、死からよみがえった我が子ヨセフに出会ったのです。それによって、ヨセフの人生は満たされました。

わたしたちは新約聖書の中に同じような場面を見いだします。ルカによる福音書2章25節以下に書かれている出来事です。年老いた預言者シメオンは、エルサレムの神殿で幼子主イエスを抱き上げて、このように神をほめたたえました。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」と。

シメオンは長くメシア・救い主の到来を待ち望んでいました。その待望の時が今満ちたのです。救い主なる主イエス・キリストと出会ったとき、彼の待望の時が満たされ、それと同時に彼の人生、彼の一生が満たされました。救い主なる主イエス・キリストと出会うことによって、わたしたちの人生、一生もまた満たされるのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたは全人類を罪から救うためにみ子主イエス・キリストをこの世にお遣わしになりました。み子の十字架の死によって、すべての人の罪を贖い、救ってくださいました。あなたはまた、取るに足りない小さな者であるわたしたち一人一人を、あなたの救いの恵みの中に招き入れてくださいました。心から感謝いたします。

○主なる神よ、どうかわたしたちをあなたのご栄光を現わす者としてください。あなたの救いのみわざを証しする者としてください。

○全世界をご支配しておられる天の父なる神よ、この世界にあなたの義と平和をお与えください。戦いや破壊、憎しみや分断を取り去ってくださり、和解と共存をお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA