12月24日説教「わたしたちのための救い主の誕生」

2023年12月24日(日) 秋田教会クリスマス礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書9章1~6節

    ルカによる福音書2章8~14節

説教題:「わたしたちのための救い主の誕生」

 クリスマスという言葉が「キリスト」と「ミサ」の二つの言葉が合体して作られたということをお聞きになったことがあるかもしれません。キリスト・ミサ、つまり、主イエス・キリストというこの日にお生まれになった一人の人間と礼拝とが結びついた言葉です。その意味は、この日は、主イエス・キリストを礼拝する日であるということであり、この日お生まれになった主イエス・キリストを礼拝してお迎えするということです。もう少し言葉を替えて言えば、この日を祝う最もふさわしい仕方は、この方を礼拝することであるということであり、あるいはまた、この方をわたしが礼拝すべき方としてお迎えするということです。

 実は、きょうの礼拝で朗読されたルカによる福音書で、羊飼いたちが聞いた天使の言葉の中に、そのクリスマスという言葉の意味が語られているのです。10節から読んでみましょう。【10~11節】。「だから、あなたがたはこの方を礼拝してお迎えしなさい。この方をあなたが礼拝する神として信じ、受け入れなさい。そうすれば、あなたは救われ、クリスマスの恵みと祝福にあずかることができます。それがクリスマス、キリスト・ミサの意味なのです」と、神の使い、天使が告げているのです。

 では、最初にこのクリスマスのメッセージを聞いた羊飼いたちはどうしたでしょうか。15節以下にこのように書かれています。【15~17節】。そして、【20節】。羊飼いたちはすぐにベツレヘムの町にでかけ、幼子が生まれた場所を探し当てました。そして、実際に神をあがめ、賛美したと書かれています。彼らはこの日お生まれになった幼子主イエス・キリストが、天使がお告げになったように、神から与えられた自分たちの救い主、主メシアであると信じました。彼らは最初のクリスマスを祝った人たち、主イエス・キリストを礼拝した人たちとなったのです。そればかりでなく、彼らはそのことを人々に告げ知らせた最初の伝道者となったとも書かれています。

 そこでわたしたちは、クリスマスの日にお生まれになった「あなたがたのための救い主、主メシア」とはどのような方なのか、なぜその方は礼拝されるべきなのかについて、さらに深く学んでいくことにしましょう。

 「救い主」とは、一般的には広い範囲に及ぶ助けとか解決法を与える人を言います。「救世主」という言葉も用いられます。たとえば、この薬は難病で苦しむ人たちの救世主となるというように、いろいろな場面や分野で用いられることがあります。しかし聖書では、ほとんどの場合、人間を罪から救う人を指しており、しかもその人はすべての人々にとっての、ただ一人の、唯一の救い主であることを意味します。それが、クリスマスの日にお生まれになった主イエス・キリストであると聖書は語っているのです。

 罪からの救いとはどういうことでしょうか。まず、罪とは何かといえば、罪とは神と人間との関係が壊れていることを言います。聖書によれば、神は人間をご自分の形に似せて創造されました。神と親しく交わり、神のみ心をわきまえ知り、そのみ心に喜んで従って生きる者として、神は人間を創造されました。そうである時に、人間は一組のアダムとエヴァとなって、互いにふさわしい助け手となり、共に歩むパートナーとして、人間同士もまた親しい交わりをもつ共同体となるのです。

 ところが、最初の人アダムとエヴァが神の戒めに背いて罪を犯し、神から遠ざかり、神に逆らって、罪の中で生きる者となってしまいました。これが原罪と言われるものです。人間の罪は全人類に及んでいます。それによって、争いや憎しみ、戦争、殺戮、破壊、分断といった醜い、不幸な人類の歴史が始まり、また今も繰り返されているのです。

 けれども、神は人間の罪の歴史をそのままにはしておかれません。人間が罪の中で滅びていくことをお許しにはなさいません。神は人間を罪から救うために、神がお選びになったイスラエルの民と預言者たちや王たち、また祭司たちによって、神の救いのみわざを行なわれました。そのことを記しているのが旧約聖書です。それらの預言者、王、祭司は、その職に任じられる際に、頭からオリブ油を注がれるという油注ぎの儀式を行いました。それは、神の霊と恵みがその人の上に豊かに注がれ、それによって託された務めを果たすことの約束、しるしでした。

 神はそのようにして、ご自身の永遠なる救いのご計画を進められ、ついにはこの時に、まことの、そして永遠の預言者、王、祭司であられる、油注がれた者、それをヘブライ語でメシアと言いますが、そのメシア・救い主をこの世にお遣わしになったのです。その方こそが、クリスマスにお生まれになった主イエス・キリストなのです。

 主イエス・キリストは全人類を罪から救うために、父なる神への全き服従の道を歩まれ、わたしたちの罪のために苦難を受けられました。そして、わたしたちを罪の支配から解放し、わたしたちの罪を贖うために、ご自身の罪なきお体を十字架に犠牲としておささげになりました。わたしたちはこの主イエス・キリストの十字架の福音を信じ、主イエス・キリストをわたしの救い主と信じ、受け入れるならば、だれでも罪から救われ、死と滅びから救われるのです。これが、「あなたがたのための救い主、主メシア」の具体的な内容です。

 人間の罪は神に対して犯された罪ですから、それをゆるすことができるのは神のみです。主イエス・キリストはまことの人間としてこの世にお生まれになりましたが、ご自身はまた罪も汚れもない神のみ子でした。神のみ子が人となってこの世においでくださったのです。それがクリスマスの日の出来事でした。それゆえに、わたしたちはこの救い主イエス・キリストを、わたしの罪をゆるす権威と力とを持っておられる唯一の神としてあがめ、礼拝するのです。

クリスマスの日に最も重要なことは、わたしたちがこの日に神と真実な出会いを経験することです。わたしが神のみ前に立つということです。そして、神のみ前で自分自身の罪に気づかされるということです。しかも、その罪がすでに神によってゆるされているということを信じることです。神とわたしの関係、神と人間との関係が正しく回復されなければ、人間のすべての営みは曲がったもの、歪んだものになるほかにありません。人間と人間との関係も、人間が共に住む社会も、地域も、家庭も、また人間の経済活動とか政治とか、教育とか、あらゆるものもまた、神と人間との関係が正しくなければ、それらのすべては歪んだもの、不健康なものにならざるを得ないのです。

このクリスマスの日に、神ご自身の方から、人間との関係回復のために、人間との交わりを正常に戻すために、神のみ子が派遣されてきたことを、わたしたちは感謝と驚きとをもって知らされました。わたしたちの救い主としてこの日にお生まれになられた主イエス・キリストを、わたしを罪から救う唯一の救い主と信じ、神とわたしとの関係を正しく回復していただく。そして、わたしが正しく神を礼拝し、神にお仕えしていく。そこから、わたしの新しい歩みが始まります。わたしは神との間に平和を与えられている平和の使者として、この世にあって真実の平和を創り出すために遣わされていくのです。

 

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、あなたが罪のこの世を顧みてくださり、暗黒と死の陰に覆われていたこの世界に、天からのまことの光でこの世を照らしてくださり、救いの恵みをお与えくださいましたことを心から感謝いたします。この日にお生まれになられたみ子主イエス・キリストがすべての人の救い主であることを、世の多くの人々に信じさせてください。この世界は深く病み、痛み、悲しんでいます。争いや、憎しみ、分断が多くの人々の命を奪い、家々や自然を破壊し、人々の生活を破壊しています。主よ、どうかこの世界を哀れんでください。救ってください。真実の和解と平和をお与えください。クリスマスの日に天から与えられる大きな喜び、恵み、祝福を、多くの人々が経験することができますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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