3月12日説教「ラケルの死とイサクの死」

2023年3月12日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記35章16~28節

    マタイによる福音書22章23~33節

説教題:「ラケルの死とイサクの死」

 創世記12章から始まったアブラハム、イサク、ヤコブという3世代にわたる族長の信仰の歩みについて学んできました。族長時代は紀元前18世紀ころから16世紀にかけて、まだイスラエルの民が形成される前ですが、彼ら族長の信仰の歩みの中に、神に選ばれたイスラエルの民の信仰とのちの教会の民の信仰が、すでに生き生きと語られていることをわたしたちは学んできました。それは、言うまでもないことですが、族長たちとイスラエルの民、そして教会の民を導かれたのが同じ主なる神であるからにほかなりません。主なる神は創世記1章の天地創造のみわざから始まるすべての救いの歴史を大きな恵みと愛とをもって導いておられます。神の永遠なる救いのご計画が天地創造の初めから、族長時代とイスラエルの時代を経て、わたしたち教会の民へと受け継がれ、終わりの日の神の国が完成される時まで継続されるのです。わたしたち一人一人はその永遠なる神の救いのご計画の中に招き入れられているのです。

 きょうの礼拝で朗読された箇所では、ヤコブの妻ラケルの死とヤコブの父イサクの死のことが書かれています。そこできょうは、この二人の死によって、神の永遠なる救いの歴史がどのように継続されていったのかに焦点を当てて学んでいくことにします。

 16節からラケルの死について書かれています。ラケルはヤコブの最愛の妻でした。ヤコブは兄エサウから長男の特権をだまし取ったことで命をねらわれ、カナンの地から遠く1000キロメートルも離れたパダン・アラムのハランの地へと逃れ、伯父ラバンのもとに身を寄せることになりました。ヤコブはラバンの家で彼の娘ラケルを愛し、彼女を妻にするために7年間ラバンの家で働きましたが、ラバンにだまされてもう7年間、さらに6年間、計20年間も、ヤコブはラバンの家で愛するラケルのために一生懸命に働きました。

ところが、ラケルにはなかなか子どもが与えられませんでした。ヤコブは愛する妻ラケルに子どもが授かることを願いましたが、神は人間的な知恵を誇り傲慢であったヤコブを訓練するために、さまざまな労苦や試練を彼にお与えになりました。ヤコブは自分の思いどおりに事がなるのではなく、神のみ心が行われる時を待つべきであることを学ばなければなりません。

そしてようやく、神がラケルを顧みられたときに、彼女に男の子が与えられました。30章24節に書かれていたように、ラケルはその時、「主がわたしにもう一人男の子を加えてくださいますように」と願って、その子の名をヨセフと名付けました。きょうの箇所に書かれている、あとでベニヤミンと名付けられる男の子は二人目になります。神は今またラケルの願いを聞かれ、彼女に二人目の男の子をお授けになります。

ところが、今回は難産であったと16節に書かれています。ベテルから南のエフラタに向かう途中で、ラケルは苦しみながら出産をします。18節にこう書かれています。【18節】。ラケルは出産の苦しみの中で、死の間際に最後の力を振り絞って、生まれてきた子を「ベン・オニ(わたしの苦しみの子)」と名付けました。ここには、ラケルのこれまでの生涯と今、死を目の前にしている彼女の苦悩のすべてが表現されているように思われます。

聖書にはラケル自身の心の動きについてはほとんど記されてはいませんが、この最期の時に発した一言から、わたしたちはいくつかのことを推測することができます。ラケルは夫ヤコブから熱烈に愛されましたが、彼女はその愛を独り占めにはできませんでした。父ラバンは自分の代わりに姉のレアを先にヤコブの妻として嫁がせました。ヤコブはレアよりもラケルの方を愛しましたが、姉のレアには次々と子どもが生まれたのに、ラケルとの間には長く子どもが与えられませんでした。そのことで、ラケルと姉レアの間にはねたみや葛藤が生じました。夫ヤコブとの間にも亀裂が生じたこともありました。

ヤコブとレアとの間には6人も子どもが与えられたのに、ラケルにはようやくにして一人ヨセフが授かっただけでした。夫の愛をより多く受けていたのに、子どもの数においては姉の方がはるかにまさりました。だれにも訴えることができないラケルの苦悩や闘いの日々を、わたしたちは推測することができます。

そして今、ラケルのもう一つのささやかな願いがかなえられようとするこの時に、彼女は出産の苦しみの中、最後の息を引き取ろうとしているのです。それはどんなにか無念であり、苦しみ、悲しみであることでしょうか。愛する夫と別れなければなりません。ようやくにして生まれた子どもの成長を一日も見ることができないのです。彼女が生まれた子の名を「わたしの苦しみの子」と名付けなればならなかったその思いを、わたしたちは十分すぎるほどに理解できるのではないでしょうか。

しかしながら、ここでヤコブが登場します。「いや、この子の名はベン・オニ(わたしの苦しみの子)ではなく、ベニヤミン(幸いの子)である」と宣言します。ヤコブはここで、あたかも主なる神の代弁者であるかのように、妻ラケルのこれまでの生涯と、生まれた子ベニヤミンのこれからの生涯とが、苦しみではなく、幸いであることを宣言しているように思われます。

確かに、ヤコブが妻ラケルに対して注いだ大きな愛の報いは、人間の目には少ないように見えるかもしれません。ヤコブ自身にとってもそれはどんなにか無念であったことでしょう。けれども、主なる神のラケルに対する愛は全く欠けるところがなかったとヤコブはここで告白しているのです。母の死の苦しみの代償として生まれた子ベニヤミンもまた「幸いな子」として、神に選ばれるイスラエルの民の12部族の一つとなるのです。

ラケルの苦しみと悲しみに満ちた死をわたしたちはここで見るのですが、しかし同時に、その苦しみと悲しみとを超えて、否、人間のすべての苦しみと悲しみとを幸いへと変えてくださる神の永遠の救いのご計画を、わたしたちはここで見ることができるのです。信仰者の歩みは悲しい死をもって終わるのではありません。悲しみを希望へと変えてくださる主イエス・キリストの復活の光の中へ、わたしたちは招き入れられているのです。

23節から、ヤコブ・イスラエルの12人の子どもたち、すなわち、のちにイスラエル12部族を形成する子どもたちの名前が記されています。姉のレアに生まれた子が長男ルベンからゼブルンまでの6人。妹ラケルに生まれた子がヨセフとベニヤミンの二人、ラケルの召し使いビルハに生まれた子が二人、レアの召し使いジルバに生まれた子が二人です。26節には「これらがパダン・アラムで生まれたヤコブの息子たちである」と書かれていますが、正確にはベニヤミンだけはカナンに帰ってきてから生まれた子ということになります。

この12人の子どもたちの中で、ラケルの子ヨセフが37章以下のエジプト行きと、その後に家族全員がエジプトへ移住する物語の新しい主人公となります。

36章には、ヤコブの兄エサウの子孫について描かれています。エサウは軽はずみに長男の権利を弟ヤコブに譲ってしまったために、神の選びの民からはずれ、エドム人の祖先になったことが書かれています。

35章27節からは、きょう注目するもう一つの人間の死、族長イサクの死について短く描かれています。【27~29節】。ヤコブの父であるイサクについては、28章でヤコブをパダン・アラムのラバンのところに送りだした姿が最後で、それ以後は登場していません。27節にあるように、ヤコブはエルサレムの南ヘブロンで20数年ぶりに父と再会することになります。でも、その父と子の久しぶりの再会のことについては何も書かれていません。ただ、父の死とその葬りのための再会であったかのようです。

では、イサクの180年の生涯はどうであったのかを簡単に振り返ってみましょう。彼は少年のころ、父アブラハムによって燔祭の薪の上に横たえられました。彼が60歳の時に妻リベカとの間に生まれた双子の子エサウとヤコブが成長してからは、長男の特権をめぐっての彼らの争いに巻き込まれ、年老いて目がかすんでいた父イサクは妻リベカとヤコブの共謀によってだまされ、間違って弟のヤコブを祝福してしまいました。そして、最終的にはヤコブを遠くの地へと送り出さなければなりませんでした。イサクの生涯は、3人の族長の中では、どちらかと言えば消極的な生き方で、周囲によって強い影響を受け、自分では決断しない生き方であったと言えるのかもしれません。

でも、イサクの生涯を満たすのは彼自身ではありません。彼の生涯の功績とか、彼の指導力や行動力ではありません。主なる神が彼の生涯を満たし、彼の180年のすべての日々を導き、祝福し、彼の失敗をも成功をもすべて神の救いのご計画の中で用いてくださったのです。イサクの生涯もまた神の救いの歴史の中の1ページなのです。

エサウとヤコブが父イサクを葬ったと書かれていますが、この双子の兄弟は父の死によって本当の意味で和解したということを、わたしたちはここで読み取ることができるのではないでしょうか。二人の和解についてはすでに33章に書かれていましたが、二人はそれぞれまた分かれて、エサウは死海の南セイルの地へと帰って行き、ヤコブはヤボク川の近くのスコトに家を建てて住んだと33章に書かれていました。その二人が今父の死という厳粛な事実を契機にして、しかしまた父の死の悲しみを超えて、またここで出会い、共に父を葬ることによって、エサウとヤコブは一緒になって神の救いのご計画の1ページをつづっているのです。

 族長アブラハムは死にました。今イサクも死にました。ヤコブもやがて死にます。しかし、アブラハム、イサク、ヤコブの神は永遠に彼らの神であり続けられます。主イエスはマタイ福音書22章32節でこう言われました。「『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」神はアブラハムと結ばれた契約を、その子イサクに、またその子ヤコブに更新されました。神の約束のみ言葉は彼らの死によっても廃棄されることはありません。彼らの死を超えて有効に更新されます。神の命のみ言葉とその救いのご計画は、彼らの死を超えて永遠に継続されていきます。終わりの日にみ国が完成される日に、神は彼ら族長たちに約束の成就を見せてくださるでしょう。それゆえに、アブラハム、イサク、ヤコブは永遠なる神によって、復活の命を確かに約束されているのです。主イエス・キリストの十字架と復活の命は、信じる人すべての死を超えて、わたしたち一人ひとりにも約束されているのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ,あなたが天地創造の時からお始めくださった永遠なる救いの歴史を、み子主イエス・キリストによって完成させてくださることを、わたしたちは信じます。この世界や人間たちの繰り返される罪や悪を超えて、あなたの永遠の救いのみ心が実現されていくことを信じます。

〇願わくは神よ、この世界と、そこに住む人間たちを顧みてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

3月5日説教「功績なしに罪を赦される」

2023年3月5日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

      『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(20)

聖 書:イザヤ書55章1~5節

    ローマの信徒への手紙3章21~26節

説教題:「功績なしに罪を赦される」

 『日本キリスト教会信仰の告白』をテキストにして、わたしたちの信仰の中心が何であるか、日本キリスト教会の特徴は何であるかを学んでいます。きょうは、「神に選ばれて」から始まる告白文の中の「功績なしに罪を赦され」の箇所について、聖書のみ言葉から学んでいきます。

 この個所は、前回学んだ「キリストにあって義と認められ」という告白の続きで、16世紀の宗教改革が強調した「信仰義認」という教理を告白しています。宗教改革者ルターは、当時の堕落したローマ・カトリック教会に抗議し(プロテスタントとは英語で抗議という意味です)、聖書を改めて読み返し、そこから福音主義の信仰を読み取りました。すなわち、人が救われるのはその人のわざや功績によるのではなく、すべての罪びとのために十字架で死んでくださった主イエス・キリストの十字架の福音を信じることにより、その信仰によって、神に義と認められ、罪をゆるされ、救われる。これが「信仰義認」と言われる教理です。「功績なしに」という告白は、カトリック教会が重視している「功績」という言葉をあえて用いて、カトリック教会の考えを否定しています。

 そこで、どのようにしてカトリック教会の功績主義という考えが生まれてきたのか、その歴史を簡単に振り返ってみましょう。紀元3~4世紀の古代教会の時代から、信仰者が神に喜ばれる良きわざに励むことが強調されました。それ自体は正しい信仰です。神によって救われた信仰者が神に感謝して、神に喜ばれる信仰生活に励むということは、わたしたち信仰者のだれもが心がけていることです。

しかし、それが次第に、救われるためには、信仰だけでなく、良きわざも必要であるという考えに傾いていくようになりました。そこから更に、自分自身の救いのために必要な良いわざ以上の功績を積んだ人(この功績をラテン語でメリットと言うのですが)、そのメリットを積んで死んだ人を聖人と呼び、彼らが天に蓄えているメリットを、信仰者は祈りによって分けてもらうことができるという考えに発展していきました。

 中世の14、15世紀のスコラ学と呼ばれるカトリック教会の神学では、信仰だけでなく、良いわざもまた救いのために必要だという教えや聖人崇拝という慣習が確立し、そこから、よく知られている免償符を教会が発行して、良いわざが十分ない人でも免償符を購入すれば、犯した罪の償いをしなくても罪が帳消しにされて、天国行きの切符を手に入れることができると教えていたのです。それは、主イエス・キリストの十字架の死の意味を軽んじることであり、いやそれのみか、わたしたちの救いの根源である主イエス・キリストの十字架の死を否定することであると、宗教改革者たちは抗議の声を挙げたのです。

では次に、聖書からそのことを確認していきましょう。旧約聖書の時代から、イスラエルの救いはイスラエルの何らかの功績によるのではない、一方的に神から与えられた恵みによるのであるという信仰がありました。イスラエルは神の恵みによって選ばれ、神の契約の民とされ、神に愛されている。彼らは神の恵みによってエジプトの奴隷の家から救い出され、約束の地へと導き入れられた。そのことをわたしたちは旧約聖書から繰り返して教えられています。

 きょうの礼拝で朗読されたイザヤ書55章1~2節にはこう書かれています。【1~2節】(1152ページ)。また【6~7節】。神は遠くにいる神ではない、近くに来てくださった。わたしたちが悔い改めて神の方に向き変るなら、神はわたしを救ってくださる。神はイスラエルの民を主イエス・キリストの到来前に、すでにこのような信仰へと招いておられました。

 新約聖書ではその信仰がより明確にされました。使徒パウロはローマの信徒への手紙で、わたしたちはだれでもみな、功績なしに救われるということを強調しましたが、彼は更にもう一つのことをも強調しました。そもそも、わたしたち人間は生まれながらにして罪びとであり、だれも神に喜ばれる良いわざをすることができないのだということです。彼はローマの信徒への手紙3章10節以下でこのように語っています。きょうの礼拝で朗読された箇所のすぐ前です。【10~12節】(276ページ)。また、【20節】。

 人間はだれ一人として神の律法を守り行うことができない、むしろ神の律法の前では、だれもそれに従うことができない人間の罪が明らかにされるばかりだとパウロは言います。

 このような徹底した罪の自覚、罪の告白があるところに、続けて21節以下のみ言葉が語られるのです。主イエス・キリストの福音を信じる信仰によって与えられる神の義、神の救いが語られるのです。【21~24節】。

22節に「信じる者すべてに」とあり、また24節には「神の恵みにより無償で」とあります。これが、『信仰告白』の中で「功績なしに」と告白されていることの内容です。

ここには二つの側面が言い表されています。一つは、だれであっても、何一つ功績ない人であっても、つまり何一つ神に喜ばれる良いわざを行うことができない弱い人、貧しい人、破れだらけの人、欠けの多い人であっても、神から一方的に与えられる恵みによって、主イエス・キリストの十字架の贖いのみわざによって、それを信じる信仰によって、神のみ前に義とされ、救われるという、神の恵みの豊かさ、広さ、力強さが強調されているのです。

もう一つには、だれであっても、救いのために自分の功績、良いわざを持ち出すことは断じてできない、ただ神の恵みによってのみ、主イエス・キリストの福音を信じる信仰によってのみ、人は救われるという、救いを神の恵みにだけ厳しく限定するということです。

わたしたちは主イエス・キリストの十字架の福音によって示されたこの二つの側面、つまり、神のみ前での人間の徹底した無力さと神の恵みの豊かさとを決して見失わないようにしなければなりません。わたしたちが時として自分の罪の大きさに嘆き、絶望しなければならない時にも、あるいは自分のわざを誇り、傲慢になり、神への恐れを忘れてしまう時にも、「功績なしに罪を赦される」という信仰を思い起こさなければなりません。

次に、「罪を赦され」という告白について学びます。罪という言葉は『信仰告白』の中では最初の段落で「人類の罪のために」という箇所にすでに出てきました。最初に創造された人アダム以来、すべての人、全人類は、神のみ前にあっては罪びとであるというのが聖書全体の教えです。ローマの信徒への手紙3章9節では、「ユダヤ人もギリシャ人も皆、罪のもとにある」と言われており、23節では「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっている」とあります。

そのような罪びとである人間は、だれも自分で自分を救うことはできません。わたしたちの救いはただ主イエス・キリストから与えられます。『信仰告白』では、「信じる人はみな」が文章の主語になっていますので、「罪を赦され」と受動態になっていますが、本来の主語は主イエス・キリスト、あるいは神です。どのようにして罪をゆるされるかは、すでに最初の段落でこのように告白されていました。「主イエス・キリストが人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、贖いをなしとげ、復活して永遠の命の保証を与え、救いの完成される日までわたしたちのために執り成してくださいます」。これによって、わたしたちは罪ゆるされ、救われ、神の国での救いが完成するのです。

その個所ですでに学んだことですが、十字架による完全な犠牲と贖いということについて今一度復習しておきましょう。贖うとは、奴隷状態から解放して、自由にするという意味を持ちます。神から離れている罪びとは、パウロが告白しているように、罪と死とに支配されています。罪と死の奴隷です。神はそのような罪びとを救うために、旧約聖書時代のイスラエルの民に、動物の血を犠牲として神にささげることをお命じになりました。血には命があります。その血の贖いによって、人間の失われていた命を買い戻すためです。それによって、罪と死の奴隷であった人間を解放し、神のものとして買い戻すことによって罪のゆるしをお与えになりました。イスラエルの民は動物を犠牲としてささげる礼拝によって、神のものとされ、神のご支配のもとに移されました。

けれども、それは動物の血でしたから、人間を罪と死から贖うには不十分でした。そのために、エルサレムの神殿では毎日動物の犠牲がささげられました。それに対して、主イエスが十字架でおささげくださった血は、まことの神でありまことの人としての、罪も汚れもない完全な贖いの供え物でした。したがって、主イエスの一回だけの十字架の死によって、すべての人を、永遠に、罪と死から贖う力と恵みを持っているのです。それゆえに、わたしたちは自分では救いのために何一つなしえず、なしえないままで、いな、成しえないからこそ、ただ主イエス・キリストの十字架による贖いの死によって、わたしの罪のすべてが、完全に贖われ、罪と死から解放されており、罪ゆるされているのです。これが、「功績なしに、罪ゆるされ」という告白の意味です。

最後に、もう一つの重要な点について少しふれておきたいと思います。人間の良いわざは人間の救いのためには全く役に立たず、神に喜ばれないということをわたしたちは確認してきましたが、ではわたしたちは信仰者として何もする必要はなく、怠惰に過ごしてよいのか、罪を犯し続けていてよいのかということですが、パウロはそれについてローマの信徒への手紙5章以下で詳しく語っています。

それによればこうです。神の一方的な恵みによって罪ゆるされた者は、罪と死の支配から解放されて自由にされているのであるから、これからは罪に妨げられることなく、喜んで神にお仕えしていくことができる。神から与えられる自由の霊によって新しい命を受け、新しく創造された者として、神のみ言葉に喜んで聞き従い、神の栄光を現わすために仕える者とされる。罪ゆるされ、救われ者として、神の恵みに感謝し、神のみ名を賛美し、神を礼拝するものとされる。そのような、新しい信仰者の生き方について、パウロは12章1節以下でこのように語っています。【1~2節】(291ページ)。「功績なしに、罪の赦しを」与えられているわたしたちは、このような神礼拝の生活へと招かれているのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたのみ前では滅びにしか値しない者であるにもかかわらず、あなたがみ子主イエス・キリストの尊い犠牲の血によって、わたしたちを罪から贖ってくださったことを心から感謝いたします。願わくは、わたしたちが罪の奴隷から解放されて、あなたから与えられる自由の霊によって、喜んであなたと隣人にお仕えする者とされますように。

〇天の神よ、あなたは天から地上のすべてをご覧になっておられます。この世界の深く病んでいる姿、その中で苦しみあえいでいる人間たちをご覧になっておられます。どうぞ、この世界を憐み、顧みてください。み心を行ってください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

2月26日説教「復活の主イエスと出会ったサウロ」

2023年2月26日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記3章1~6節

    使徒言行録9章1~9節

説教題:「復活の主イエスと出会ったサウロ」

 ペンテコステの日にエルサレムで誕生した初代教会が、数回に及ぶユダヤ人からの迫害にもかかわらず、成長を続けてきました。教会員の多くがエルサレム市内から追放されるという大迫害が、かえって福音がパレスチナ全土へと拡大されていくきっかけになったということ、さらにはユダヤ人以外の異邦人にも救いの道が開かれていったということを、わたしたちは使徒言行録で聞いてきました。神の言葉はこの世のいかなる鎖によっても決してつながれることはないということを何度も確認してきました。神の救いのご計画はこの世の人間たちの抵抗や攻撃や、あるいは無関心をも突き破って、力強く前進していくのだということを、大きな驚きと感動を覚えながら学んできました。

 そして、きょうは9章1節以下では、もう一つの大きな驚きの出来事について聞くことになります。すなわち、キリスト教会の迫害者であったサウロ、のちのパウロが、復活された主イエス・キリストと出会い、主キリストによってとらえられ、キリスト教会の宣教者に変えられるという、大きな、驚くべき奇跡についてです。神は教会が経験しなければならなかった幾度もの迫害をもお用いになって、教会を成長させ、前進させてくださったように、今また、教会の迫害者をもお用いになって、主キリストの福音宣教の良き働き人となさるのです。

 使徒言行録9章1~19節までには、パウロの回心の出来事が記されていると言われます。けれども、実際には回心と言われるような内容はここには書かれていません。ユダヤ教徒であったパウロが主キリストの福音を聞いて、罪を自覚し、悔い改めて、主キリストの福音を信じるようになり、回心してキリスト者になったという、パウロ自身の心境の変化のことについては何も語られていないように思われます。使徒言行録ではこのあと、同じようなパウロの回心について彼自身が語っている箇所が22章4~16節と26章9~18節に書かれていますが、その2箇所でも、回心と一般に言われる内容についてはほとんど語られてはいません。これらの3箇所に共通している内容は、教会の迫害者だったサウロ・パウロがダマスコの近くで突然に天からの強い光に照らされて地に倒れ、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」、という復活の主イエスのみ声を聞いたこと、そして目が見えなくなったこと、その後、ダマスコでアナニアという人に出会い、彼によってパウロの目が開かれ、パウロは洗礼を受けてキリスト者になったという出来事、事実だけが繰り返して語られています。

 確かに、熱心なユダヤ教徒、ファサイ派だったパウロがキリスト者になったこと、教会の迫害者であったパウロが教会の福音宣教者になったことは、180度の方向転換であり、まさに回心であり、改宗でもあるのですが、回心の内容について語られていないのはなぜなのか、しばしば議論されますが、その理由はよくわかっていません。わたしたちがキリスト者になる道筋をたどると、ある期間教会の礼拝に出席して、聖書のことが少しずつ理解できるようになり、自分の罪のことが知らされ、悔い改めの必要を知らされ、そしてある時に決断をして、洗礼を受けてキリスト者になるというのが一般的でしょうが、パウロの場合にはそれらが省略されているように思われます。

 パウロの場合、彼自身の心の変化とか罪の告白とか信仰の決断とかについてはほとんど語られず、天におられる神の側からの一方的な働きかけ、しかも強烈な働きかけと、復活の主イエスご自身の命令と招きだけが強調して語られているのです。ほとんど一瞬のうちに、回心という出来事が彼に起こっているのです。それは、神の側での一方的な選びであると言えるでしょう。神が一方的な選びによって、パウロをキリスト者とし、教会の宣教者として召されたのです。その神の一方的な選びと招きの力強さの前では、パウロ自身の心の変化とか、あるいはまた彼がそれにどう抵抗したかとか、どんな疑問を持ったかなどということは、まったく重要ではなかったということをわたしたちは知らされます。

 のちになって、パウロが諸教会にあてた手紙の中で彼のいわゆる回心についてこのように書いています。ガラテヤの信徒への手紙1章15、16節では、「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず」と書いています。また、コリントの信徒への手紙一15章8節以下では、復活された主イエスとの出会いについてこう書いています。「そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現われました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです」。

これが、使徒言行録に記されている、いわゆるパウロの回心と言われている出来事のパウロ自身のとらえかたなのです。それは、まさに神の奇跡です。パウロ自身の側にあるすべての可能性や不可能性をはるかに超えた神の奇跡です。迫害の中にあったエルサレム教会で神が繰り返して起こしてくださった奇跡のみわざを、神はまたパウロの生涯の中でも起こされました。神は今もなお、この世界で、またわたしたちの教会で、わたしたちの思いをはるかに超えた奇跡のみわざを起こしてくださるということを、わたしたちは信じるのです。

では、9章1節以下に書かれているパウロと復活の主イエスとの出会いの場面について詳しく見ていきましょう。ダマスコはガリラヤ湖の北およそ100キロメートル、エルサレムからだと250キロ以上も北にある町で、当時のシリア領内にありました。エルサレムから追放された信者たちがここにまで主イエスの福音を語り伝えていたということが分かります。また、パウロがユダヤ最高議会の議長であった大祭司の信任状を持ってダマスコのキリスト者を逮捕する許可を得ていたということから、ユダヤ人による迫害がファリサイ派やサドカイ派というユダヤ教の一部の派によるだけはなく、ユダヤ国家全体による迫害へと拡大されていたということを確認することができます。しかしまた、迫害が拡大されると同時に、福音宣教の地域も異邦人の地へと拡大されていったということをもわたしたちは知らされます。

1節には、「サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで」と書かれています。パウロのキリスト教迫害にかける意気込み、熱意、使命感のようなものを感じます。彼はなぜそれほどまでにキリスト教会の迫害に命をかけていたのでしょうか。それは、彼が熱心なユダヤ教徒であり、ファリサイ派の指導者であったことと関連します。ユダヤ教ファリサイ派は旧約聖書の律法を重んじ、律法を守り、行うことによって救われ、神の国に入ることができると教えていました。しかしながら、主イエス・キリストの十字架の福音はその教えを根本からくつがえすものでした。だれでも、主イエスの十字架の福音を信じ、主イエスがわたしの救いのために、わたしに代わって十字架で死んでくださり、わたしの罪のすべてをゆるしてくださったという、この福音を信じるならば、律法の行いなしに、ただ信仰によって救われる、これが主イエスの福音です。

熱心なファリサ派のパウロにとっては、そのよう教会の教えはユダヤ教の律法を無効にしてしまうことであり、律法によって生きてきたユダヤ国家そのものをも滅ぼすことになると考え、ユダヤ教とユダヤ国家を守るためにキリスト教会を根絶しなければならないと考えたのでした。

パウロはのちに書簡の中で書いています。主イエス・キリストの十字架の福音による救いの道は、律法による救いの道の終わりであり、そもそもだれも律法を完全に守り行うことはできないのであって、なおも律法によって救われようとするならば、いよいよ罪の自覚が生じるだけであると言っています。パウロは復活の主イエスと出会ったとき、自分が追い求めてきた律法による救いの道ではなく、わたしの罪のために十字架で死んでくださり、三日目に罪と死とに勝利されて、復活してくださった主イエス・キリストを信じる信仰によってこそ、ユダヤ人も異邦人も、すべての人は罪ゆるされ、救われるのだということを知らされたのです。

パウロがダマスコの近くにまで来た時に、22章6節によれば、それは真昼のころで、太陽が最も光り輝く時間帯でしたが、その太陽の光よりもはるかに強い天からの光によって、彼は地に倒れました。それは、強い光に目がくらんで倒れただけでなく、彼がこれまで一生懸命になって走ってきたユダヤ教の律法の道が終わり、それに命をかけてきたパウロが死んだことを象徴的に言い表しているように思われます。十字架に付けられ三日目に復活された主イエスとの出会いを経験して、パウロはそれまでの自分に死んだのです。

【4~6節】。ここには、復活した主イエスとの出会いによって、パウロが全く新しい人に造り変えられた、いわゆる回心の中身が暗示されているように思われます。それをいくつかのポイントにまとめてみましょう。

一つには、パウロはここで自分を天からの強い光でとらえたのが、復活の主イエスにほかならないということを知らされたことです。キリスト者たちが語っていたように、十字架につけられて死んだ主イエスが復活されて、今自分に語りかけておられる、主イエスは確かに今も生きておられる、そしてわたしを捕らえておられる。そのことをパウロは知らされたのです。

第二には、復活された主イエスが、ほかならないこのわたしに、キリスト者たちを迫害し、キリストの教会に敵対していたこのわたしに現れてくださった、このわたしを選んでくださったということをパウロは知らされました。教会の迫害者を教会の宣教者に変えてくださるという、主イエスの圧倒的な恵みの大きさを知らされました。

第三には、主イエスはここで迫害されているのはこのわたしであると言われたことです。パウロはキリスト者を迫害しているつもりでした。けれども、主イエスは迫害されているキリスト者と共におられたのです。彼らの痛みや苦しみを主イエスご自身が共に担っておられるのです。復活された主イエスは主イエスの教会と共に生きておられることをパウロは知らされました。

ここに至って、パウロは自分が迫害し、なき者にしようとしていた、またそうできると思っていた主イエス・キリストと主の教会が、かえって自分を圧倒する大きな力で押し迫ってくるのを覚え、その力によって地に倒されたことを悟りました。そして、再び立ち上がる時には、まったく新しい自分に造り変えられ、新しい使命を与えられていることを知らされることになるのです。ここから、福音の宣教者パウロの新しい歩みが開始されていきました。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの天からの大いなる光が迫害者パウロを捕らえ、福音

の宣教者へと変えたように、どうかわたしたち一人一人の上にもあなたの聖霊が豊かに注がれ、わたしたちを造り変えてくださり、あなたの良き働き人としてくださいますように。

〇願わくは主よ、あなたの救いと平和のみ心が地において実現されますように。

 主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

2月19日説教「この人はいったいだれだろう」

2023年2月19日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:マラキ書3章19~24節

    ルカによる福音書9章7~9節

説教題:「この人はいったいだれだろう」

 ルカによる福音書9章1~6節では、主イエスが12人の弟子たちを呼び集め、特別な賜物を授けたうえで、神の国の福音を宣べ伝えるためにこの世へと派遣されたことが記されています。10節で、彼らが帰ってきて、主イエスに自分たちの働きを報告したことが書かれています。きょうの礼拝で朗読された7~9節は、その間に挟まれていて、弟子たちが派遣されたこの世、当時のイスラエルがどのような状況であったのかを報告しています。紀元30年代のガリラヤ地方の領主ヘロデ・アンティパスのこと、またそのころの人々が主イエスをどのように見ていたのかについて書かれています。弟子たちはこのような世界へ、神の国の福音を宣べ伝えるために派遣されていくのです。その中で、主イエスこそが、神がイスラエルの民に約束されたメシア・救い主であられ、イスラエルと全世界の唯一のメシア・救い主であられ、世界のもろもろの王たちの上に君臨しておられ、来るべき神の国の永遠の王であられることを証しするために彼らは派遣されていくのです。

 【7~8節】。領主ヘロデの正式な名前はヘロデ・アンティパスと言い、主イエスが誕生された時のユダヤ全土の王ヘロデ大王の3人の息子の一人です。ヘロデ大王は紀元前37年から紀元前4年まで、ローマ帝国の支配のもとでユダヤ全土を統治していたことが記録から明らかになりました。ちなみに、主イエスの誕生をのちになって紀元1年と定めた、いわゆる西暦が世界の暦として今日採用されていますが、マタイ福音書1章に書かれているように、主イエスがユダヤ人の王としてお生まれになったという学者たちの話を聞いたヘロデ大王が、自分の王としての地位が危険にさらされていることを恐れて、ベツレヘムとその周辺の二歳以下の男の子をみな殺しにせよとの命令を下したという話をわたしたちは聞いています。このマタイ福音書の記録から判断すると、主イエスの誕生は紀元前4年よりは前ということになります。

 そのヘロデ大王はユダヤ・イスラエルの政治的・宗教的権力の一切を掌握する独裁者であり、マタイ福音書1章の幼児虐殺命令からもわかるように、残忍で、猜疑心の強い人物であったと伝えられています。彼の死後、ユダヤは4分割にされ、彼の3人の息子たちとヘロデの妹サロメがそれぞれの領主として治めることになりました。ヘロデ・アンティパスはガリラヤ地方とヨルダン川東側のペレア地方の領主となりました。彼は父ほどには残虐ではないと言われますが、権力欲や独占欲が強く、自分の異母兄弟であるフィリポの妻ヘロディアを奪い取って自分の妻にし、それが旧約聖書の律法で禁じられていた近親結婚であり、姦淫の罪に当たるとして、洗礼者ヨハネの非難を受けることになりました。そのことで洗礼者ヨハネを憎み、彼を捕らえて処刑しました。そのことについては、マタイ福音書14章に詳しく書かれています。

 7節で、「ヨハネが死者の中から生き返った」と言われていたのはそのことを指しています。マタイ福音書14章2節には、ヘロデ・アンティパス自身が主イエスの評判を聞いて、「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼の働いている」と言って、主イエスを恐れていたことが書かれています。そのヘロデ・アンティパスが主イエスの活動や弟子たちが各地に派遣されたことなどを知って、「戸惑っている」と書かれています。父ヘロデ大王がそうであったように、その子アンティパスも主イエスを恐れています。ヘロデ大王は、まだ生まれたばかりの幼子主イエスを恐れ、自分の王位が奪われるかもしれないとの恐怖心から、幼児虐殺命令を出しましたが、その子アンティパスは主イエスの活動とその福音が自分の領土に広がっていくことに不安と恐れを感じ、自分が首をはねた洗礼者ヨハネが生き返ったのだと、自分の過去の処刑命令におびえているのです。

 このように、この世の支配者たちは多かれ少なかれ、自らの権力の座にしがみつこうとして、自分が支配しているはずの民衆を恐れ、本来怖れるには値しないものを恐れて、不安を募らせるほかありません。主なる神を恐れない支配者は、みなこのようにして恐れるに値しないものを恐れるほかありません。しかしながら、主イエスを信じるキリスト者は、神以外のものを恐れる必要はありません。主なる神こそが、全世界の唯一の全能の支配者、まことの神、すべてのものの上にいます唯一の主であられます。しかも、この神は全人類を罪と死と滅びとから救い出すために、ご自身のみ子を十字架に犠牲としておささげくださるほどにわたしたちを愛された神であられるのです。わたしたちはこの神をこそ恐れ、この神にこそ従うべきです。それゆえに主イエスの弟子たちは、またわたしたちもまた、この世のいかなるものをも恐れることなく、主イエスの福音を携えて、この世へと派遣されていくのです。

 8節のエリヤは、旧約聖書列王記上17章以下に登場してくる、イスラエルの預言者活動初期のころの預言者です。紀元前9世紀半ばに北王国イスラエルで活動した預言者です。彼はカナン地方の異教の神バアルの預言者たちと戦い、イスラエルの主なる神の勝利を証ししました。彼は彼の後継者である預言者エリシャの目の前で嵐の中を天に引き上げられたと列王記下2章に書かれていることから、のちの人々は神がイスラエルの救いを完成される時にエリヤを再び地に派遣されるであろうと信じました。マラキ書3章23~24節に(これは旧約聖書の最後のページになりますが)、このように預言されています。「見よ、わたしは大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように」。新約聖書では洗礼者ヨハネが来るべきメシアに備えてこのエリヤの務めを果たしたのだと証していますが、人々はまだ主イエスがそのメシア・救い主だとは気づいていませんでしたから、もしかしたら主イエスがエリヤの再来ではないかと考えていました。

 「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と考える人もいました。主イエスの時代のイスラエルには、このような復活信仰を持つ多くの敬虔なユダヤ人がいたことが知られています。イスラエルの民は長い間苦難の歴史を歩んできましたので、その中で復活信仰は芽生えたのではないかと考えられています。迫害によって殺された預言者たちや、死に至るまで熱心な信仰を持ち続けて殉教していった信仰者を、神は決してお見捨てにはならない。ご自身の救いが完成される終わりの日には、神は彼らをよみがえらせてくださるに違いないという信仰が芽生えていったのではないかと推測されています。

 ヘロデ・アンティパスが主イエスの活動とその福音宣教の働きに戸惑いを覚えたり、当時の人々が主イエスを旧約聖書時代の預言者の再来ではないかと考えたということは、主イエスの登場とそのお働きが確かに多くの人々に大きな衝撃を与えていた、そこには何か神の偉大なみ力が働いていることを感じさせていたということを、わたしたちは確認することができます。けれども、それらは主イエスに対する正しい信仰告白ではありませんし、正しい復活信仰でもありません。彼らの主イエスに対する評価は、人々の驚きや期待ではあっても、いまだそれらは真実の信仰ではありません。主イエスこそが旧約聖書で預言されていた来るべきメシア・救い主であり、人間の罪とに完全に勝利される、十字架と復活の主であり、神の国の永遠の王であるという信仰告白には至っていません。

 わたしたちが信じ、告白しているように、主イエスは罪のない神のみ子であられたにもかかわらず、わたしたち罪びとが受けるべき神の裁きをお受けになり、苦難の道を歩まれました。父なる神のみ前で従順な僕として、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順に服従され、それによって父なる神のみ前で義と認められ、完全な罪の贖いを成し遂げられたのです。そして三日目に復活して、ご自身が罪と死とに勝利され、信じるすべての信仰者に永遠の命の保証をお与えくださったのです。これがわたしたちの復活信仰であり、これがわたしたちの救いです。わたしたちはこの福音を携えて、この世へと派遣されていくのです。

 【9節】。ここに、マタイ福音書14章2節とは別のヘロデ・アンティパスの言葉が引用されています。いずれも主イエスに対する驚きと恐れを言い表しています。洗礼者ヨハネの首をはねたという彼の過去の行為に多少の良心のとがめを感じていたのであろうと思われますが、その彼の悪と罪を気づかせているのが主イエスとその福音なのです。主イエスとその福音は、人間の中に潜んでいる罪を気づかせます。そして、わたしたちに決断を迫ります。「あなたは主イエスを何者と言うのか。主イエスはあなたにとって何者かのか。あなたは主イエスの存在とその福音を受け入れるのか、それとも拒否するのか」という決断を迫るのです。ヘロデ・アンティパスがその問いかけに真剣に答えるには、彼が今固執している権力の座から降りてこなければなりません。ただ、遠くから耳に入るうわさとして聞くのではなく、自分に語りかけられる主イエスの招きの言葉として聞かなければなりません。

 「イエスに会ってみたい」との彼の願いは、期せずして主イエスの裁判の席で実現することになります。ルカ福音書23章6節以下にその時のことが書かれています。しかし、その時にも彼は自分の権力の座から降りてはきませんでした。それゆえに、主イエスとの真実の出会いも起こりませんでした。

 「この人はいったい何者だろう」。わたしたちも常にこの問いの前に立たされています。この問いに対して信仰告白するように常に迫られています。自分が固執している自分の立場や権利、知恵や力、富や名誉のすべてを捨てて、主イエスのみ前に謙遜になり、「主よ、あなたこそが、ただあなただけが、わたしの唯一の救い主、わたしのすべてをささげてお仕えするべき唯一の主です」と告白するようにと招かれています。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、わたしたちはこの世にあるさまざまなものを恐れています。それによって不安になったり、希望を失ったりします。しかしどうか、恐れるべきはただお一人、主イエス・キリストの父なる神であられるあなたのみであることを信じさせてください。その信仰によって、どのような困難な時、試練の時にも、暗く寂しい道をも、希望と喜び抱いて歩ませてください。

〇主なる神よ、重荷を負っている人、病んでいる人、孤独な人、すべてあなたの助けを必要としている人に、あなたがその近くにいてくださり、慰めと励ましを与えてくださり、必要なものを備えてくださいますように。

エス・キリストのみ名によって。アーメン。

2月12日説教「ベテルでの神とヤコブの契約」

2023年2月12日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記35章1~15節

    フィリピの信徒への手紙1章3~11節

説教題:「ベテルでの神とヤコブの契約」

 創世記12章から始まるアブラハム、イサク、ヤコブの三世代にわたる族長時代は、紀元前1800年代から1600年代の時代を背景にしていると推測されています。彼らが活動した範囲は、アブラハムの故郷カルデアのウルはチグリス川とユーフラテス川が合流するメソポタミア地方、そこから始まって、ユーフラテス川を1000キロメートルあまり北西にさかのぼってハランへ、そして7、800キロメートル南下してカナンの地、神の約束の地、今のパレスチナへ、また時には500キロメートルほど南西に下ってエジプトの地へ、これが彼ら族長たちが活動した範囲です。

 アブラハム、イサク、ヤコブの三代の族長たちはみな同じように、東西・南北2000キロメートルほどの広い範囲を(それは日本列島全体を含むほどの広さですが)行き来し、信仰の旅路を続けていたことになります。ヘブライ人の手紙11章に書かれているように、彼らはまさに地上では旅人、寄留者であり、この世界のどこにも定住の家を持たずに、移動していました。けれども、彼らは普通の放浪の民、流浪の民のように、目的もなくさまよっていたのでは決してありませんでした。彼ら族長たちは主なる神に導かれながら、神の約束の地を受け継ぐとの約束を信じながら歩む、信仰の民でありました。

 わたしたちがきょうの礼拝で読む創世記35章のヤコブもまたアブラハム、イサクと同じように、地上では旅人・寄留者として、この地上のどこにも定住の場所を持たず、神の約束のみ言葉を信じながら、信仰の歩みを続ける民の一人であることを知らされます。35章1節にこのように書かれています。【1節】。

 ヤコブの道のりを少し振り返ってみましょう。ヤコブは父イサクと兄エサウを欺いて、兄から長男の特権を奪い取ったことで兄の怒りを買い、命をねらわれたために、はるか北のハランへと逃亡しましたが、20年後にカナンの地へ戻り、兄と和解することができました。33章18節以下に書かれているように、彼はヤボク川の近くのスコテからヨルダン川を渡り、かつて住んでいたカナンの地シケムの町に着き、その土地の一部を買い取って、二人の妻と11人の男の子どもたち、それにディナという娘と共に、その町での生活を始めました。

 シケムでのヤコブ一家の生活がどれくらい続いたのかは聖書の記述からは分かりませんが、その地の一部を購入して自分たちの家を建て、5年あるいは10年、20年は続いたのかもしれません。その土地の人々とのつながりもできて、その地で安定して生活し、定住することをもヤコブは考えていたのかもしれません。

 34章に書かれているシケムでの出来事については詳しく触れることはできませんが、その地にもとから住んでいたカナン人の男とヤコブの一人娘ディナとの間のトラブルに巻き込まれたヤコブ一家の苦悩と戦いが語られています。そして、そのトラブルが一段落した後で語られた神のみ言葉が35章1節です。「さあ、ベテルに上り、そこに神の祭壇を造り、神を礼拝しなさい」と神はお命じになるのです。つまり、「あなたが住んでいるシケムの町はあなたの定住する地でない。あなたがその地の一部を自分で購入したとしても、それが神の約束の成就なのではない。あなたはその地とその町で築いた人間関係とを捨てて、ベテルの町に行きなさい。なおも旅人・寄留者としての信仰の歩みを続けなさい」と神は言われるのです。

 ベテルはヤコブにとって非常に印象深い、忘れられない地でした。彼が初めてベテルの地を訪れたのは、兄エサウに命をねらわれ、逃げるようにして家を出て、まだ見ぬ遠いハランの地まで旅する途中に、孤独で不安な夜を過ごし、石を枕にしたのがベテルでした。28章10節以下にその時のことが語られています。その時彼は神のみ使いたちが天にまで届くはしごを上り下りしている夢を見ました。そして、神のみ声を聞きました。【28章13~15節】(46ページ)。そして、その地をベテル「神の家」と名づけたのでした。

そのベテルで主なる神を礼拝する生活を再び始めるようにとの神のみ声を、ヤコブは今また聞いたのです。シケムでの長い生活の中で、異教の民との接触や交流によって、困難なトラブルに巻き込まれ、失われつつあった旅人・寄留者としての信仰の歩みを、ヤコブはこのベテルから再開するのです。「どのような試練の中にあっても、わたしは決してあなたを見捨てない。いつでもあなたと共にいる」と約束される主なる神を信じる信仰の歩みを、ヤコブはここで取り戻すのです。

【2~7節】。シケムでの長い定住生活の中で、ヤコブ一家の信仰がカナンの異教的な偶像礼拝に変質していったということを、わたしたちここから知らされます。34章に書かれていたように、シケムの男によってヤコブの娘ディナが辱められたという父ヤコブが受けた屈辱や、その復讐としてヤコブの子どもたちがシケムの町中の人々や家畜を略奪したという恐るべき行動が、ヤコブを苦しめていたことが推測されますが、それ以上に信仰者ヤコブにとっての危機は、彼がその地で異教徒たちと共に生活したことによって、主なる神に対する純粋な信仰を失いかけていたということ、このことこそがヤコブにとっての大きな危機だったのです。

ヤコブとその一家は住み慣れたシケムの町を出て、またその町で手に入れた異教の神々の像と飾りを捨てて、ただイスラエルの主なる神だけに頼り、その神だけに服従する信仰を取り戻さなければなりません。

ベテルに新しい「エル・ベテル」という名前が付けられました。「エル」はヘブライ語の神、「ベテル」は神の家ですから、「エル・ベテル」は直訳すれば「神の家の神」あるいは「神の家の神」となります。アブラハム・イサクの神、イスラエルの神ということが強調されています。この町で、ヤコブ一家の新しい神礼拝の生活が始まるのです。神の約束のみ言葉を信じながら、地上では旅人・寄留者としての信仰生活をここで取り戻すのです。

9節からは、ヤコブの名前がイスラエルに変えられることが書かれています。【9~10節】。32章23節以下のペヌエルでの神のみ使いとの格闘のあとで、ヤコブの名前がイスラエルに変えられたことがすでに書かれていました。32章29節の説明によれば、イスラエルとは「神と闘う」あるいは「神が闘われる」という意味であると推測されます。ここでは、その名前の意味についても、なぜ名前が変更されたのかについても説明はありません。ただ、ここでも32章30節と同様に「神が彼を祝福された」と書かれています。神から新しい名前が与えられることは、神の祝福がいよいよ増し加えられたことを意味します。ヤコブはベテルの祭壇で神を礼拝するたびごとに、日々に新たに神の祝福を与えられ、日々に新しい人に造り変えられ、信仰の旅路を続けていくことになります。わたしたちに、キリスト者、クリスチャンという新しい名前が与えられたのも同様です。また、わたしたちが主の日ごとに神を礼拝する時にも、同じように日々に新たな信仰者として創造されるのです。

【11~15節】。ここにおいて、アブラハム、イサクに与えられた神の契約、いわゆるアブラハム契約がヤコブに更新されます。創世記12章からの族長物語の中で、わたしたちは何度同じこのみ言葉を聞いてきたでしょうか。ヤコブの人生の中だけでも、彼の人生の節目節目で、神はこのアブラハム契約を繰り返して語られ,更新されました。そして今また、シケムでの家族のトラブルや異教の偶像の神々の誘惑から解放されたこの時にも、神はヤコブにお語りになりました。たとえヤコブが神との契約を忘れるようなことがあっても、神は決して彼をお忘れにはなりません。神は「全能の神」であられます。たとえ人間がどれほどに不信仰であり、罪を繰り返す者であっても、神はご自身の約束のみ言葉が最終的に成就される時まで、信仰者を決してお見捨てにはなりません。

使徒パウロはフィリピの信徒への手紙1章6節でこう書いています。「あなた方の中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」わたしたちは族長時代から一気に数千年の時を経て、神の約束のみ言葉は永遠であり、神の救いのご計画が永遠であるという信仰をここで確認することができます。族長アブラハム、イサク、ヤコブに約束されたみ言葉は、主イエス・キリストによってわたしたち教会の民のために成就され、さらに終わりの日の神の国が完成される日まで永遠に続くのだということを、わたしたちは知らされるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたが天地創造の時からお始めくださった救いのみわざが終わりの日の完成に向かって前進していることをわたしたちに信じさせてください。どのような困難な時にも、試練や災いの時にも、あなたの救いのみわざがみ心にかなって続けられていくことをわたしたちに信じさせてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

2月5日説教「主キリストにあって義と認められる」

2023年2月5日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

            『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解⑲

聖 書:創世記15章1~6節

    ガラテヤの信徒への手紙2章15~21節

説教題:「主キリストにあって義と認められる」

 

 『日本キリスト教会信仰の告白』の第二段落は、「神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ、功績なしに罪を赦され、神の子とされます」と告白されています。この告白は、16世紀の宗教改革の伝統を受け継ぐわたしたちプロテスタント教会の信仰の中心であるといってよいでしょう。きょうは、「キリストにあって義と認められ」の箇所について、『信仰告白』のもとになっている聖書のみ言葉を読みながら学んでいきます。

この個所は、すぐ前の「この救いの御業を信じる人はみな」という告白と合わせて、「信仰義認」と言われる、宗教改革が強調した教理を告白しています。つまり、主イエス・キリストの十字架による救いという福音を信じる人は、その信仰によって、神に義と認められ、罪なしとされ、罪から救われるというのが、わたしたちプロテスタント教会の信仰の中心です。

「信仰義認」という教理は、宗教改革者たちが初めて発明した教理ではありません。それは旧約聖書時代から証しされ、新約聖書の中で主イエス・キリストによって成就された、聖書全体の中心的な教理、教えであり、宗教改革者たちはそれを再発見したのです。したがって、「信仰義認」について教えているみ言葉は、旧約聖書にも新約聖書にも数多く見いだすことができますが、その代表的な個所を新約聖書から挙げてみましょう。

まず、きょうの礼拝で朗読されたガラテヤの信徒への手紙2章15節以下です。【16節】(344ページ)。ローマの信徒への手紙3章21節以下もその代表的な一つです。【22~24節】(277ページ)。このほかにも「信仰義認」の教理を証しする聖句は、新約聖書に数多くあります。ヨハネによる福音書3章16節のよく知られている聖句もそれに加えることができるでしょう。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。

「信仰義認」の教えは主イエス・キリストの十字架の福音によってわたしたちに与えられた救いの恵みを言い表す教理ですが、すでに旧約聖書の中にも暗示され、約束されています。創世記15章のアブラハムの信仰について、6節ではこのように書かれています。「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」。また、パウロがローマの信徒への手紙1章17節で引用したハバクク書2章4節には、『口語訳聖書』の翻訳では、「義人はその信仰によって生きる」と書かれています。

以上のように、旧約聖書・新約聖書の主な個所を一読しただけでも、「信仰義認」という教理が間違いなく確かな聖書の教えであり、しかも中心的な教えであることが明らかです。しかし、この教理は中世のローマカットリック教会では見失われていました。16世紀の宗教改革がそれを再発見したのです。

M・ルターから始まった宗教改革を特徴づける標語が3つあります。一つは「聖書のみ」、二つは「信仰のみ」、三つは「万人祭司」。この2番目の「信仰のみ」とは、別の側面から言えば「神の恵みのみ」ということですが、わたしたち人間はすべて生まれながらにして罪びとであり、だれも自分で自分を救うことができず、ただ主・イエスキリストの十字架の福音を信じる信仰によってのみ、すなわち、主イエスがわたしのために十字架で死んでくださり、ご自身の尊い命をわたしの罪の贖いの供え物としておささげくださった、その福音をわたしが信じることにより、ただその信仰によってのみ、神から一方的に差し出される恵みによって、わたしは神のみ前で義とされ、罪ゆるされた者とされ、救われるという、「信仰義認」の教理、それが「信仰のみ」「神の恵みのみ」です。

宗教改革者ルターが「信仰のみ」「神の恵みのみ」を強調したのは、当時のローマカトリック教会が、人が救われるには信仰だけでなく、人間の愛の業も必要だという考えに基づいて、免償符なるものを発買し(これは一般的には免罪符と言われますが)、救いをお金で買い取ることができるような安っぽいものにしてしまった、そのような堕落した教会を改革するために、改めて聖書を読み返した結果、聖書から再発見した真理、それが「信仰のみ」によって救われるという、「信仰義認」の教理だったのです。

先ほど読んだガラテヤの信徒への手紙2章16節では、「ただイエス・キリストを信じる信仰によって義とされる」とあり、「ただ」という言葉が用いられていますが、この個所を直訳すると、「イエス・キリストを信じる信仰による以外によっては、人は義とされない」という文章であり、イエス・キリストを信じる信仰がここでは強調されているので、日本語訳では「ただ」という言葉を補って「ただイエス・キリストを信じる信仰によって」と翻訳しています。

では、聖書が書かれた時代、パウロが「信仰のみ」という言葉で強調しなければならなかった、彼が対決していた相手、つまり誤った理解とはどのようなものだったのでしょうか。ガラテヤの信徒への手紙2章16節では、「律法の実行によってではなく」という言葉が3回も繰り返されていることからも明らかなように、それは、ユダヤ教の律法主義者たちであり、また彼らに影響されて教会内にも律法主義的信仰を持ち込もうとしていた偽りの教師たちでした。彼らは主イエス・キリストの十字架の福音を信じる信仰だけでなく、旧約聖書の律法の行いもまた救いには必要だと教えていました。

それに対してパウロは、旧約聖書の中にすでにアブラハムの信仰による義認が書かれており、またハバクク書にはわざによってではなく、「信仰によって義人は生きる」と書かれていることを取り上げながら、だれも律法を行うことによっては神のみ前で義とされることはない、いや、そもそも、だれも神の律法を完全に実行できない罪びとなのだということを強調したのです。それゆえに、わたしたち罪びとである人間は自らの中に救いの可能性を全く持っていない。ただ、神の裁きと滅びにしか値しない者なのだ。しかし、そうでありながら、そのようなわたしたち罪びとたちのために、ご自身がわたしたちの罪を代わって負われ、罪と戦って苦しまれ、わたしたちに代わって父なる神の裁きをお受けになった神のみ子、主イエス・キリストの十字架の死と、その死に至るまでの完全な従順によって、神に義とされた主キリストの義のゆえに、その主イエス・キリストの十字架の福音を信じる者を、神は義と認め、その罪をゆるされ、救われるのだということをパウロは語ったのです。

パウロのこのような正しい信仰を守るための戦いは、16世紀の宗教改革者たちの戦いでもありました。では、宗教改革の際に再発見され、また日本キリスト教会の特色でもある「信仰義認」という教理は、どのように理解され、信じられるべきなのかということを、さらに具体的に学んでいくことにしましょう。

「義」という言葉は 元来法廷用語であったと考えられています。罪ありとして法廷に訴えられ、裁判を受けた被告人に対して、裁判官が「あなたには罪がない、義である、正しい」と、無罪を宣告することを意味しています。

その言葉が、旧約聖書と新約聖書の中で用いられるようになって、新たな意味がつけ加えられました。その一つは、義はこの世の法廷ではなく、神の法廷での神の判決であるということ、もう一つは、神との関係において、神のみ前で義である、正しいという意味です。義とは関係概念であるとも言われます。神の義と言えば、神ご自身が義なるお方である、正しい公平な方であると同時に、神はご自身がお選びになったイスラエルの民と義なる関係を築いてくださるという意味があります。

ローマの信徒への手紙3章25~26節、先ほど読んだ続きの箇所ですが、そこには神の義のこのような二つの側面が語られています。【25~26節】(277ページ)。神はご自身が義なる正しい裁き主であるにもかかわらず、わたしたち罪びとが受けるべき当然の有罪判決を下されるのではなく、ご自身のみ子であられる主イエス・キリストをわたしたちの罪を償う供え物としておささげくださることによって、わたしたちの罪をおゆるしくださいました。ご自身の独り子さえも惜しまれずにわたしたちの罪を贖うために十字架の死におささげくださった神の大きな愛、それによってわたしたちの罪を無条件でゆるし、わたしたちを無罪としてくださることによって、神はご自身の義をお示しくださったのです。そして、この主イエス・キリストの十字架の福音を信じる信仰者を義としてくださるのです。

もう一人の宗教改革者であるカルヴァンは、義認ということを別の言葉で言い表しています。「キリストの義を(衣服を着るように)わたしの上に着る」とか「キリストの義がわたしたちのものであるかのごとくに、わたしたちに帰せられる」、あるいは「キリストの義が、価なしに、わたしたちの義に転嫁される」とカルヴァンは言います。これらは、パウロが聖書の中で「キリストにあって」と言い表していたことの具体的な説明と言ってよいでしょう。

主キリストにあって義とされるとは、主イエス・キリストご自身が十字架の死で成就された義を、主キリストご自身の義を、わたしに着せられるということ、すなわちわたしの罪という存在の上に主キリストの義の衣が着せられ、それによってわたしの罪が覆い隠され、わたしの中には義のひとかけらもないのに、主イエス・キリストの十字架と復活によってかち取られた義を、あたかもわたしのものであるかのようにみなしてくださる。主キリストが父なる神に対して成し遂げられた義をあたかもわたしのものであるかのように、わたしに転嫁される、そのことを信じるときに、その信仰によってわたしたちは神のみ前に義と認められ、罪ゆるされ、救われるのです。主キリストご自身の義がわたしに無償で贈与され、主キリストの義がわたしの義に数えられる、そのことを信じ、感謝と喜びとをもって受け入れる、それが「信仰義認」です。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、義であり真実であられるあなたのみ前では、死と滅びにしか値しない罪多いわたしたちを、あなたのみ子の十字架の御血潮によって、罪を贖い、あなたの愛と憐みによって義としてくださいました恵みと幸いを心から感謝いたします。願わくは、わたしたちが絶えずあなたのみ言葉に聞き従い、あなたがお示しくださる信仰の道を迷うことなく歩むことができますようにお導きください。あなたが天に備えておられる、朽ちず、汚れず、しぼむことのない財産を受け継ぐものとしてください。

○あなたが主キリストの御体としてお建てくださったこの教会を顧みてください。多くの欠けや弱さを持っている貧しい群ですが、あなたがここに集められている一人一人を豊かに祝福し、その信仰を強め、導いてください。

○また、あなたによって創造されたこの世界を顧みてください。争いや分断、貧困や病、不安や恐れの中にあって苦しんでいるすべての人々を慰め、励まし、真実の救いをお与えくださいますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

1月29日説教「エチオピア人高官の受洗」

2023年1月29日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書56章1~8節

    使徒言行録8章26~40節

説教題:「エチオピア人高官の受洗」

 主イエスが十字架に付けられ、三日目に復活されてから数年後、紀元30年代の前半に初代エルサレム教会を襲った大迫害によって、多くのユダヤ人キリスト者たちがエルサレムから追放されることになりました。散らされていった信者の一人フィリポは、サマリア地方で主イエスの福音を宣べ伝え、多くの人が洗礼受け、サマリア教会が誕生したということが使徒言行録8章の前半で語られています。

 そのフィリポの更なる働きについて、26節以下に書かれています。きょうの箇所では、エチオピアからエルサレム神殿に巡礼に来ていた高官が主イエスを信じて、フィリポから洗礼を受けたということが記されています。このエチオピア人の高官はユダヤ人からは異邦人と言われていた人です。つまり、ここでは最初の異邦人キリスト者の誕生について書かれているということになります。フィリポは最初にサマリア伝道をした伝道者となっただけでなく、最初の異邦人伝道をした伝道者ともなったのです。

 この二つのフィリポの伝道活動の成果は、主イエス・キリストの福音が持っている救いの恵みと力と命の豊かさを明らかにしているということを、きょうの礼拝の初めでまず確認をしておきたいと思います。

ユダヤ人とサマリア人とはイスラエルの歴史の中で何百年もの間、対立関係にありました。同じ民族でありながら宗教的・政治的対立を深めてきました。それが、フィリポの宣教活動によって一つの教会の民とされたのです。主イエス・キリストの福音は、神と人間との間にあった罪という対立や深い溝を解消する和解の福音ですが、それはまた人間社会の中にあるさまざま対立や分断、国家や民族の対立や分断をも一つに結びつける和解の福音でもあるのです。

神は全世界の国民の中からイスラエルの民をお選びになり、この民をとおして救いのみわざを始められました。それは、やがて神が時至って、メシア・救い主を世界に派遣され、全人類を罪から救い出されることを目指していました。フィリポのエチオピア高官への伝道は、今やその時が到来したことの最初のしるしなのです。主イエス・キリストの福音はユダヤ人から異邦人へ、そして全世界のすべての人々へと宣べ伝えられ、全世界に主キリストの教会を誕生させていくことになるのです。その意味で、使徒言行録8章に記されているサマリア伝道とエチオピア高官への伝道は、のちの時代に大きな意味をもっているのです。

では、26節から読んでいきましょう。【26節】。26節では「主の天使」と書かれていますが、29節では「霊」、39節では「主の霊」とあるのは、いずれも聖霊なる神のことです。聖霊なる神の霊がフィリポにエチオピアの高官への伝道をお命じになり、またそのすべての道のりを導いておられるということが分かります。先ほど、フィリポの働きによってサマリア伝道と異邦人伝道の突破口が開かれたと説明しましたけれど、正確には、フィリポがではなく、フィリポを導かれた聖霊なる神がそれらのすべてのみわざを行っておられたのだと言うべきでしょう。サマリア伝道も異邦人伝道も、そしてまた今日のわたしたちの教会の働きも、すべて聖霊なる神のみわざです。

神のみ使い、聖霊なる神は、フィリポに「サマリアから南へ、ガザへと向かう道を行くように」と命じます。ガザはエルサレムの南西7、80キロの地中海沿岸の町です。その道はわざわざ「寂しい道」であると説明されています。なぜそのような寂しい道へと、聖霊は導かれるのでしょうか。教会が伝道計画を立てる場合、人々がたくさん住み、交通の便もよく,にぎやかな町を選ぶのが一般的です。しかし、聖霊なる神は、人通りが少なく、多くの伝道の成果が期待できないような道へと伝道者を導き、そして、ただ一人の人を救うためにだけ伝道者を遣わすということがあるのです。

その道で、フィリポは一人の異邦人と出会います。その人はエチオピア人で、女王に仕える宦官であったと27節で紹介されています。彼はエルサレムの神殿で礼拝をささげ、国に帰るところでした。エチオピアはエジプトの南ですから、エルサレムまでは何千キロも離れていますが、彼はエチオピアの国内の離散のユダヤ人(ディアスポラと言われますが)からイスラエルの神について聞き、その神を信じるようになった、熱心な敬神家でした。正式にユダヤ教に改宗してはいませんでしたが、旧約聖書で証しされている主なる神を信じ、その神を礼拝するために何千キロもの道のりを旅して、エルサレム神殿への巡礼を続けてきました。

彼は女王の身近で仕えることから、去勢手術をした宦官でした。エルサレム神殿ではユダヤ人以外の敬神家と言われる人たちは、神殿の外側の異邦人の庭までしか入ることが許されず、しかも彼は宦官で身体に傷があったので、正式にユダヤ教に改宗することもできませんでした。けれども、彼は熱心に主なる神を信じ、エルサレム巡礼を続け、また当時はほとんど一般には出回っていなかったパピルスか羊皮紙で作られた聖書を持っていました。それほどに熱心な信仰者であっても、正式にユダヤ教には改宗できませんでした。このエチオピア人の宦官はどうしたら本当の救いを与えられるのでしょうか。

29節から読んでみましょう。【29~33節】。29節の初めに「霊が」とあります。フィリポとエチオピア高官とを道の途中で出会わせ、彼らの会話を導き、フィリポの聖書の解き明かしを導き、エチオピア人高官に主イエスの福音を信じる信仰を与え、彼に洗礼を受ける決意を与えたこと、そのすべてが聖霊なる神のみわざなのです。

エチオピア人高官はイザヤ書の巻物をエルサレム巡礼の旅行に持参していました。フィリポが彼の馬車に近づいたとき、ちょうどイザヤ書53章を朗読しているのが聞こえました。ここに引用されている箇所は7~8節です。「苦難の主の僕(しもべ)」の預言といわれている箇所の後半です。エチオピア人高官にはこの「苦難の主の僕」がだれのことを預言しているのか、分かりません。というのも、彼はまだ主イエス・キリストがこの世界においでになり、十字架の死によって罪の贖いと救いのみわざを成し遂げてくださったことを知らないからです。すでに主イエスの到来とその救いのみわざのことを知っている人、信じている人の手引きによって、はじめて彼はイザヤ書のこの「苦難の主の僕」の預言が主イエスを預言していたのだということを悟ることができるのです。

わたしたちはここで、旧約聖書が主イエス・キリストを預言し、指し示し、その到来を待望している聖書であるということを、改めて確認することができます。これまでに使徒言行録の中で直接に、また間接的に引用されていた旧約聖書のみ言葉は、そのすべてが主イエス・キリストの救いのみわざに関連し、主イエス・キリストを預言するみ言葉であったことを、わたしたちは確認してきました。旧約聖書はその全体が、来るべきメシア・救い主であられる主イエス・キリストを預言しています。フィリポは聖霊に導かれて、イザヤ書53章のみ言葉から主イエス・キリストの福音を解き明かしました。

【34~38節】。イザヤ書53章の「苦難の主の僕」が福音書で主イエスのご受難と十字架の死の場面や、また書簡でもたびたび引用されており、これが主イエスを預言しているみ言葉であり、主イエスのご受難によって成就したということを新約聖書全体が証しています。罪のない神のみ子であられる主イエスが、多くの罪人たちの罪を背負って、神と人とによって見捨てられるという大きな苦悩の中にありながらも、なおも黙々として苦難の道を進み行かれた。そして十字架の死に至るまでの徹底した服従によって、父なる神に受け入れられ、全人類の罪のための贖いの供え物となってくださった。ここにこそ、すべての人の罪の救いがあるということを新約聖書は語り、またフィリポは語ったのです。

エチオピア人高官はフィリポの解き明かしを聞いて、主イエスを救い主と信じ、洗礼を受ける決意が与えられました。そして、道のそばを流れていた川に入り、フィリポから洗礼を受けました。この洗礼は当時のユダヤ人の間で行われていた全身を川の中に沈める全身浸礼でした。福音書の初めに登場する洗礼者ヨハネが教えた悔い改めの洗礼でもありました。

でも、これはそれまでとは全く違った新しい洗礼でした。主イエスを救い主と信じる信仰によって罪をゆるされ、救われることのしるしとしての洗礼でした。もはやユダヤ人の律法を守り、行ったかどうかによって救われるのではなく、割礼があるユダヤ人だけに限られた救いでもなく、異邦人であれ、宦官であれ、だれでもがただ主イエスを救い主と信じる信仰によって救われることをしるしづける洗礼でした。

説教の初めでも触れましたように、エチオピア人高官の受洗はユダヤ人以外の異邦人としての受洗第1号です。主イエスの福音がユダヤ人とイスラエルという枠を突破して、一気にアフリカ大陸へと広げられたのです。それはまさに、神が全世界を創造され、イスラエルの民をお選びになった時から始められた永遠なる救いのみわざの初めに、神がご計画しておられたことの成就だったのです。

【39~40節】。「主の霊がフィリポを連れ去った」と書かれていることがどのようなことを語っているのかは今日のわたしたちにはよく分かりません。霊が人を連れ去るという表現は地上の死を意味することもありましたが、ここではそうではありません。フィリポはこの後も伝道活動を続けています。エチオピア人高官が信仰へと導かれ、洗礼式も終わって、この場面でのフィリポの務めが終わったということをわたしたちは確認できるだけです。具体的にどのようなことが起こったのかについてはよくわかりません。ただ、エチオピア人人高官の方は、喜びに満たされて旅をつづけたと書かれています。おそらく、彼によってはじめてアフリカ大陸にキリスト教の信仰がもたらされてのであろうと推測されます。

フィリポのその後の活動については、ガザの北20キロほどの地中海沿岸の町アゾトに姿を現し、それからパレスチナ北部の沿岸都市カイサリアまで行ったと書かれています。21章8節には、カイサリアにあるフィリポの家に、第3回世界伝道旅行中のパウロの一行が泊ったと書かれていますので、彼はこの町を拠点にしてパレスチナ北部一帯の伝道のために長く働いていたことが知られます。そして、彼の働きが使徒パウロへと受け継がれていくことになります。フィリポのサマリア伝道とエチオピア人高官への伝道が主イエスの福音が全世界へと拡大されていく重要な一歩となったことを、わたしたちは改めて知らされます。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたの永遠なる救いのご計画が、今もなお終わりの日の完成に向かって前進していることを、わたしたちに信じさせてください。そしてまた、その救いのご計画のために、この地に建てられている秋田教会と、わたしたち一人ひとりをも働き人としてお用いください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

1月22日説教「12弟子の派遣」

2023年1月22日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書61章1~4節

    ルカによる福音書9章1~6節

説教題:「12弟子の派遣」

 ルカによる福音書9章1節に、「イエスは十二人を呼び集め」と書かれています。主イエスによって12弟子が選ばれたことについては、すでに6章12節以下に書かれてあり、14節からは12弟子の名前が紹介されています。彼らはこれまで、日夜、主イエスと行動を共にし、主イエスの宣教のみわざのために共に仕え、信仰の訓練を受けてきました。今、改めて主イエスのみ前に呼び集められ、宣教の使命を与えられ、この世へと派遣されて行きます。6章で、12弟子が選ばれたことは、のちの教会の原型であり、始まりであることを学びましたが、ここではその教会の働き、使命、務めが明らかにされています。

 1、2節には、教会の本質を表す最も特徴的な言葉が二つ書かれています。一つは、「呼び集める」、もう一つは2節の「遣わす」です。主イエスによってこの世から呼び集められ、また主イエスによってこの世へと遣わされる、それが12弟子であり、またそれが教会の本質であり、さらには主の日の礼拝の本質でもあります。わたしたちはきょう、主の日の礼拝へと、主イエスによって呼び集められ、この会堂に集い、共に主なる神を礼拝しています。この世のそれぞれの町々村々や、家庭、職場、地域から、主イエスによって呼び集められ、主のみ前に結集して、一つの群れとされ、一つの礼拝の民とされています。そして、この礼拝で神のみ言葉を聞き、罪のゆるしの福音を聞き、慰めと希望とを与えられ、信仰の訓練を受け、また新しい使命、務めを与えられて、祝福と平安のうちに、再びこの世へと遣わされて行きます。このように、主イエスによる招集と派遣が繰り返して起こる所、それが礼拝であり、それが教会の本質なのです。

 その招集と派遣において重要な第一のことは、そのいずれも主イエスがなさるということにあります。1節に「イエスは十二弟子を呼び集め」とあり、2節の「遣わす」も主語は明らかに主イエスです。教会と礼拝の招集と派遣の主語はいずれも主語は主イエスです。主イエス以外のだれかや何かが主語になることはありません。教会の群れを呼び集め、一つに結集させ、またこの世へと派遣するのは主イエスであり、わたしたちが自分自身の意志や願いでそうするのではなく、他のだれかとか、他の何かとかがそうするのでもありません。教会は何か共通の思想とか目的とか利益によって結ばれている団体ではありません。むしろ、各自の人生観や性格、職業、政治的立場とか、あらゆる点において違ってはいても、ただ主イエスによってこの世から呼び集められ、一つに結び合わされている共同体なのです。ここにこそ、教会の一致の確かさと堅固さがあるのです。

 次に、1節、2節には、主イエスが弟子たちにお与えになる特別な力と権威、また使命、務めについて書かれています。それは、彼らが新しい人に造り変えられて、再びこの世へと派遣されていくためです。そのために、主イエスは弟子たちに特別な賜物をお与えになります。この賜物は二つの種類に分けられます。一つは、1節の「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能」です。2節にも、「病人をいやすために」とあり、6節では、弟子たちが「病気をいやした」と報告されています。もう一つは、2節の「神の国を宣べ伝える」ことです。6節では、弟子たちが「福音を告げ知らせた」と報告されています。

 この二つのことは、主イエスのお働きの中でも常に結びついていました。7章18節以下で、洗礼者ヨハネからの「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」との問いに対して、主イエスは22節以下でこのようにお答えになりました。【22~23節】(116ページ)。主イエスが様々な重い病気をいやされたことは、旧約聖書に預言されていたメシア・キリスト・救い主であることの証しであり、神の国が到来し、神の恵みのご支配が開始されたことのしるしなのです。人間の目に見え、体で体験する奇跡のみわざと、言葉による福音の宣教とは、互いに結び合い、神の救いの時が成就したことをはっきりと告げているのです。

 主イエスの弟子たちは、主イエスから全権を託された使徒として、主イエスの救いのみわざを引き継ぐために、同じ賜物を与えられました。彼らは言葉とわざとによって、主イエスによって開始された神の国、神の恵みのご支配と、主イエスが成就される救いの時を告げ知らせるために、この賜物を携えてこの世へと派遣されていくのです。

 「神の国を宣べ伝える」、「福音を告げ知らせる」ということについて、もう少し詳しく考えてみましょう。「神の国」(マタイ福音書では「天の国」と表現されますが)とは、神のご支配のことです、神がただお一人の王として君臨しておられ、支配しておられる国、それが神の国です。そこでは、神以外のすべてものは神に服従しています。悪しきもろもろの霊も病気も、罪も死も、すべては神のご支配のもとにおかれます。それが人間にとっての本当の救いです。

 それゆえに、神の国の到来は「福音」、喜ばしいおとずれといわれます。それはこの世にあるすべての喜びよりもはるかに大きな喜び、天の神から与えられる喜びです。また、もはや他の何ものによっても奪われることなく、破壊されることのない永遠の喜び、平安がそこにあります。主イエスがこの世においでくださったことによって、そのような神の国が開始されたのです。主イエスが悪霊を追い出し、病気をいやし、死人を生き返らせる奇跡をなさったのは、そのことの確かな目に見えるしるしなのです。そして今、弟子たちは主イエスによって開始されたこの神の国の福音を宣べ伝えるために、この世へと派遣されていくのです。

ここでも、重要なポイントは、彼らに与えられた力や権威は、彼らが持っていたものではなく、彼らが自分たちの手で得たものでもなく、主イエスから与えられたものであるという点です。彼らに「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになり」、「神の国の福音を宣べ伝え」る務めをお与えになったのは主イエスです。1節と2節の文章の主語はすべて主イエスです。弟子たちの能力や知恵ではなく、彼らが自分たちの考えや努力によってその務めを果たさなければならないのでもありません。むしろ、選ばれた弟子たちは当時の宗教的・社会的指導者ではなく、学者や資産家でもなく、無学で、貧しく、力弱い人たちでした。主イエスはあえてそのような人たちをお選びになったのです。それは、だれも自分の力に頼らず、自分を語らず、ただ主イエスから与えられた力と権能によってのみ生きるためでした。主イエスから託され、委ねられた務めに生きるためでした。

3節からは、派遣される弟子たちに対する主イエスの命令が語られます。【3~5節】。3節に挙げられている「杖、袋、パン、金、下着の着替え」は旅に出る際に最低必要なものです。けれども、主イエスは最低必要なそれらのものをすらも持っていくなとお命じになります。なぜでしょうか。その理由の一つは、弟子たちは旅を楽しむために出ていくのではないからです。神の国の福音を宣べ伝えるために出かけるからです。持っていくべきものは、主イエスから託された神の国の福音です。それで十分です。主イエスの到来とともに、すでに神の国、神の恵みのご支配が始まっています。だから、この世で生活するための配慮や心配を一切する必要はないからです。神のご支配を信じ、それに身を委ね、従うことによって、神が必要なものを備えてくださることを信じるからです。彼らはただ神の国の福音だけを携えて出かけていくのです。彼らを派遣される主イエスが「何も持って行ってはならない」とお命じになるときには、「何も持つ必要がない」ということを意味しています。主イエスは12章22節以下でこのように教えておられます。「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。あなたがたの天の父なる神は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる」(12章22節、30~31節参照)と。

旅に必要なものをすらも何も持っていくなと主イエスがお命じになるもう一つの理由は、神の国が完成される時がすぐに近づいているからです。この世の終わりの時、終末の刈り入れの時が迫っているからです。あれこれと旅の支度のために時間をかけている余裕がないからです。今すぐに、急いで、神の国の福音を宣べ伝えるために出発しなさいと主イエスは言われるのです。主イエスご自身も、初代の教会も、そのような終末が接近しているという緊張感の中に生きていました。弟子たちにとって、またわたしたちにとってもそうなのですが、福音を宣べ伝えるという務めは、滅びに向かおうとするこの世界にあって、最も緊急な課題であり、まず第一にしなければならない重大な使命なのです。

4節では、家から家へと渡り歩くことが禁止されています。当時のユダヤ人社会では、巡回伝道者は一般的に尊敬され、どこの家でも歓迎され、良いもてなしを受けました。そのために、より良い待遇をしてくれる家を探して、滞在する家を頻繁に変える巡回伝道者が多かったようでした。しかし、神の国の福音を宣べ伝える弟子たちは巡回伝道者に対するもてなしを期待すべきではありません。この世の人々の称賛や報酬を求めるべきではありません。なぜならば、福音を宣べ伝える伝道者は、それよりもはるかにまさった神からの祝福が与えられているからです。

最後に、5節では、【5節】と命じられています。「足についている埃を払い落とす」とは、神の国の福音を受け入れない人たちに対する抗議のしるしであり、最終的な決別のしるしでもあります。信じない人たちには神の最後の審判が待っています。彼らが自ら招いた滅びの運命に対して、弟子たちには一切の責任がないことのしるしでもあります。それゆえに、弟子たちは福音を信じないかたくなな人たちに出会っても、そのことで失望する必要はないし、あるいはまた彼らの宣教の働きが大きな成果を得ても、それを誇ることはできません。

主イエスの時代がそうであったように、今のわたしたちの時代にも、主イエスの福音を信じ、受け入れる人は多くはありません。わたしたちが主イエスの福音を携えてこの世へと出ていく時に、しばしば無理解や無関心、時として反発を受けることもあります。けれども、わたしたちは失望したり恐れたりする必要はありません。わたしたちが人を裁くのではなく、わたしたちを派遣された主イエスが裁きと救いをみ心にかなってなしてくださるからです。そのことを信じて、わたしたちはこの世へと派遣されていくのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、この世界は主なる神を見失い、不信仰と不従順を続け、滅びへと向かっています。けれども主なる神よ、あなたはこの世界が滅びることを願ってはおられません。この世界があなたによって救われ、あなたのみ心が行われ、全人類が和解と共存のうちにあって、共にあなたを礼拝する一つの民となることを願っておられます。

〇願はくは、あなたの委託を受けた主キリストの教会が、神の国の福音を携えて、この世へと出ていき、救いを必要としているすべての人々に、主キリストの十字架の福音を告げ知らせる使命を果たすことができますように、導いてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

1月15日説教「ヤコブとエサウの再会」

2023年1月15日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記33章1~20節

    ルカによる福音書15章11~24節

説教題:「ヤコブとエサウの再会」

 きょうの礼拝で朗読された創世記33章で、わたしたちは二人の人が20年ぶりで感動的な再会をする場面に出会います。ヤコブとエサウの兄弟、同じ母リベカから生まれた双子の兄弟であった二人。しかし、弟ヤコブが兄エサウの長男の特権を奪い取り、父イサクをも欺いて長男が受けるべき神の祝福を自分のものとしたために、兄エサウから憎まれ、命をねらわれる身となったので、兄から逃れて遠いハランの地にいる母リベカの兄ラバンのもとへ旅立ったヤコブ。そして、20年の歳月が流れ、今その双子の兄弟が再会しようとしているのです。

3節、4節を読んでみましょう。【3~4節】。これは何と感動的な再会の場面であることでしょうか。一方は、かつて怒りと憎しみに燃え、敵意を募らせてその命をも奪おうとしていた兄のエサウ。他方は、兄の復讐に対する恐れと不安におびえている弟ヤコブ。その二人が今ここで固く抱き合い、口づけし、共に泣き、涙を流ている。何が、二人をこのように変えたのだろうか。何が、このような感動的な和解へと二人を導いたのであろうか?

20年という歳月が二人の憎しみと怒り、不安と恐れを和らげたのであろうか。確かに、そういうことがあるだろうとは予想されます。20年の時の経過が人を変えるということはあり得ることです。時の流れが人の感情を和らげたり、過去を忘れさせたりもします。

わたしたちはこれまで、二人が分かれてからの20年間について、兄のエサウについては全く情報はありませんでしたが、弟ヤコブについては28~32章までに書かれている彼の歩みについて詳しく聞いてきました。ヤコブは身を寄せた叔父ラバンの家で、美しい妹娘ラケルと結婚したいと願い、7年間夢中になって働きました。けれども、ラバンの策略によって結婚相手として渡されたのは姉のレアでした。そこで、彼はもう7年間働いて、ようやくラケルと正式に結婚できましたが、またしてもラバンの策略によって、さらに6年間働かされることになりました。

ラバンの家でのヤコブの20年間の歩み、その苦労と試練の意味についてわたしたちは考えてきました。その一つは、ヤコブにとってこの20年間は神から与えられた信仰の訓練の時であったということです。ヤコブは何度もラバンにだまされながらも、愛する妻ラケルのために、また父の祝福を受け継がせる彼の11人の子どもたちのために、忍耐し、誠実に、そして黙々と働き続けました。その間、彼は謙遜になること、従順になることを学びました。かつて、兄と父までも欺いて,自分の欲しいものを手に入れようとする彼の傲慢な思いが次第に打ち砕かれていったのです。

ヤコブが学んだもう一つのことは、約束の地カナンから遠く離れたハランの地でのこの20年間、父イサクから受け継いだ神の約束、それはイサクもまた父アブラハムから受け継いだものでしたが、その約束は決して無効にはなっていないということでした。神は何度もヤコブに語りかけられました。「わたしはあなたの子孫を空の星の数ほどに、海辺の砂の数ほどに増やすであろう。また、カナンの地をあなたとあなたの子孫に受け継がせるであろう」と。ヤコブはこの神の約束のみ言葉を信じ続け、約束の地カナンへ帰ることを忘れることはありませんでした。ハランの地での20年間は、約束の地カナンに帰る準備の期間であったのです。彼はその地で蓄えた多くの財産や、その地で生まれた11人の子どもたちと共に、そのままハランに定住してもよかったのです。復讐を恐れていたエサウとの再会をしなくてもよかったのです。

でも、彼はそうしませんでした。彼はカナンの地へ帰ります。エサウとの再会を望んでいます。なぜならば、その地が神の約束の地であるからです。エサウは同じ父イサクから生まれた契約の子どもたちだからです。そのようなことを考えてみますと、ここでヤコブとエサウとを和解へと導いているのは、神ご自身なのではないかと思わされます。そして、事実、主なる神こそが、この二人の感動的な再会と和解の場面の背後におられるということに、わたしたちは次第に気づかされていくのです。

33章1、2節を読むと、ヤコブが兄エサウの出迎えを恐れていた様子が分かります。すでに32章で、エサウが400人を引き連れて待ち構えているとの報告を受けたヤコブは、「非常に恐れ、思い悩んだ」と8節に書かれていました。エサウが自分たちを襲ってきて、子どもたちや家畜、財産を奪うかもしれないと考え、隊列を二組に分け、愛する妻ラケルと最愛の子ヨセフを列の最後に置いたと書かれています。そのようにしてまで、ヤコブは恐れと不安の中にありながらも、エサウとの再会を果たそうとしているのです。そして、自らはその先頭に立って、エサウの前に進み出ていきます。

ヤコブのこのような知恵と勇気は、ハランの地での20年間を導かれた主なる神から与えられたものであると、わたしたちは推測します。そしてまた、この場面でのエサウに対するヤコブの姿勢からも、神ご自身がそこで働いておられるということを、わたしたちは読み取ることができます。ヤコブはここで徹底して兄エサウの前に身を低くし、兄に敬意を表しています。3節には「兄のもとに七度地にひれ伏した」とあり、5節では、「あなたの僕であるこのわたし」と言い、また8節、13節、14節では、エサウを「御主人様」と呼んでいます。このようなヤコブの態度には、彼が20年間に学んだ謙遜が確かに反映されていると言ってよいでしょう。

エサウの20年間については、わたしたちは何も知ることはできません。また、この場面でなぜエサウが弟ヤコブを許し、和解を受け入れたのかについても、何も説明されていません。4節には、ヤコブから謝罪の言葉とか和解の申し出を聞くよりも先に、彼の方から先にヤコブを迎えるために走って行ったと書かれています。ヤコブが和解のしるしとして多くの家畜を差し出した時には、エサウは最初はそれを受けとるには及ばないと断っています。これが、この時代の慣習であって、最初は断るのが礼儀であったとしても、この場面ではヤコブに対するエサウの怒りや恨みといった感情は全く読み取ることはできません。20年前のエサウの怒り、憎しみは、なぜ消えたのでしょうか。わたしたちにはわかりませんが、主なる神がヤコブに働きかけ、彼を導いておられたように、エサウに対しても主なる神が働いておられ、この二人に和解の道を備え、このような感動的な出会いの場面を演出しておられるのだということを、わたしたちは信じるのです。

創世記の神,アブラハム、イサク、ヤコブの神,のちにイスラエルをお選びになり、この民と契約を結ばれた神、そして、主イエス・キリストによってわたしたち罪びとを罪から救ってくださる主なる神は、和解の神であり、平和の神であり、すべての人の罪をゆるし、全世界の国民を一つの神の国の民としてくださる神であられます。その神がここでヤコブとエサウとを再会させ、和解させてくださったのだということを、わたしたちは信じることができます。

ヤコブの発言からそのことを確認することができます。5節で、ヤコブはハランで生まれた彼の11人の子どもたちについてこのように説明しています。「あなたの僕であるわたしに、神が恵んでくださった子供たちです」。また、10節でも、「兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。このわたしを温かく迎えてくださったのですから。どうか、持参しました贈り物をお納めください。神がわたしに恵みをお与えになったので、わたしは何でも持っていますから」。ヤコブはエサウと和解する前に、ペヌエルで神と和解したことが32章23節以下に書かれていました。そこでヤコブは「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言ったと31節に書かれています。その時にヤコブに与えられた神との和解が、10節の「エサウの顔が神のように見える」という告白を導き出していると考えられます。

かつての傲慢で、他者を押しのけてでも自分の思いどおりに事を運ぼうとしたヤコブが、兄エサウの前でこのように告白することによって、ヤコブもエサウも共に神のお導きを信じ、神の永遠の救いのご計画に自分たちが招き入れられていることを悟ったのです。

12節からは、神に選ばれたヤコブと、神の選びからはもれたエサウとが、別々の道を進むことが語られています。二人が出会っている場所は、ヨルダン川の東側のヤボク川を渡ったペヌエルと呼ばれるようになった地です。エサウはそのころ32章4節によれば塩の海(死海)の南、セイル地方のエドムに住んでいました。12節によれば、エサウは自分が住んでいるセイル地方にヤコブを誘いたかったようでした。けれども、ヤコブはそのエサウの申し出を丁寧に断っています。15節では、エサウが自分の一族の何人かを道案内のために残しておく提案をしていますが、ヤコブはそれをも丁寧に断りました。そこで、16節には、「エサウは、その日セイルへの道を帰って行った」と書かれています。

ここには、エサウとヤコブの誕生の時にすでに定められていた神の選びが、実際に成就していく次第が描かれているのです。すなわち、25章23節で母リベカが聞いた神のみ言葉の成就です。「二つの国民があなたの胎内に宿っており、二つの民があなたの腹の内で別れて争っている。一つの民が他の民よりも強くなり、兄が弟に仕えるようになる」。このみ言葉がここで最終的に成就し、弟ヤコブが神に選ばれ、神の契約を受け継ぐイスラエルの民となり、兄のエサウはのちのエドム人の祖先となるのです。

ヤコブは17節によれば、ヤボク川の近くのスコテというところにしばらく住み、それから18節以下によれば、ヨルダン川を渡ってカナンの地に入り、シケムに定住しました。【18~20節】。創世記12章6節によれば、シケムはアブラハムが神に導かれてカナンに入った最初の地でした。そこで、アブラハムは「この地をあなたの子孫に与える」との神の約束のみ言葉を聞きました。ヤコブはその地の一部を買い取り、そこに祭壇を築き、その場所を「エル・エロヘ・イスラエル」と呼びました。これは、「神・イスラエルの神」という意味です。ヤコブはこの地で、神を礼拝しながら、神の救いのみわざがさらに前進するときに備えます。

父祖アブラハムの生涯が約束の地カナンで神を礼拝し続ける歩みであったように、ヤコブの生涯も神礼拝を続けながら、神の約束の最終的な成就を待ち望む歩みでした。今日のわたしたちの信仰の歩みもまた同じです。共に主の日の礼拝を続けながら、神の国の完成の時を待ち望みましょう。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたがアブラハム、イサク、ヤコブをお選びになり、イスラエルの民との契約によってお始めくださった救いのみわざが、今わたしたちに主イエス・キリストの十字架の福音によって、全人類の救いのご計画となって受け継がれておりますことを感謝いたします。どうか、罪や不正義によって分裂しているこの世界を、あなたが真実の和解と平和の福音によって、一つに結び合わせてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

1月8日説教「救いの御業を信じる人はみな救われる」

2023年1月8日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書55章1~7節

    ローマの信徒への手紙3章21~26節

説教題:「救いの御業を信じる人はみな救われる」

 『日本キリスト教会信仰の告白』を続けて学んでいます。きょうは、第二の段落の最初の部分、「神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな」の箇所を、前回に引き続き、聖書のみ言葉に導かれながら学んでいきます。

 「神の選び」については、これまで2回にわたって学んできました。神の選びの教理は、わたしたちの教会、宗教改革者カルヴァンの流れを汲む改革教会の信仰と神学の大きな特徴であることを確認してきました。日本キリスト教会は、ルター派教会ではなく、バプテスト教会でもいわゆる福音派教会でもなく、改革教会の伝統を受け継いでいる教会であって、その特徴の一つが神の選びを強調するという点にあります。わたしたち人間の側の選択や決断、経験が重要なのではなく、神がわたしたちの決断に先立って、あるいは、わたしが生まれる以前から、永遠の救いのご計画に従ってわたしを救いに定めてくださった。わたしを選び、わたしを信仰の道へと導いておられる。そして、この教会ときょうの礼拝に招いてくださった。わたしが今ここに、このようにして存在しているということをも含めて、わたしのすべての命と歩みは、神の主権と自由によるのであり、神の恵みの選びによることなのです。

この神の永遠で、自由な、恵みの選びがわたし自身の決断とか経験に先立ってあるのです。わたしは、このような神の選びを、すなわち、神によってわたしが選ばれているということを、信仰によって選び取るのです。それがわたしたちの信仰です。また、そこにわたしたちの信仰の確かさがあるのです。

 主イエスはヨハネによる福音書15章16節で弟子たちにこう言われました。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」。ヨハネ福音書14~16章は、主イエスが十字架につけられる前日、受難週の木曜日の弟子たちとの別れの説教、告別説教と言われている箇所です。翌日の金曜日には、主イエスは地上から取り去られ、弟子たちだけが取り残されます。恐れと不安の中にある弟子たちに対して、主イエスはこの説教をされました。

 もし、弟子たちが自分たちの判断で主イエスを選び、自分たちの決断ですべてを捨てて主イエスに従ったのであれば、もしかしたら彼らの判断が間違っていたということがあるかもしれない、あるいは彼らの考えが途中で変わるということがあるかもしれない。そして、自分の弱さや迷いのために、倒れることがあるかもしれない。しかし、そうではないと主イエスは言われます。主イエスが永遠なる神の予定と恵みの選びによって彼らを信仰の道へとお招きくださったのです。主イエスが彼らを弟子としてお選びくださったのです。だから、彼らは自分たちの足で立つのではありません。立たなければならないのでもありません。主イエスによって支えられ、導かれているのです。それゆえに、主イエスが地上から取り去られたのち、彼らがどのような困難や試練の道を歩むことになろうとも、決して倒れることはありません。だからまた、彼らは確かな信仰の実りを結ぶことができるし、父なる神との固い交わりの中で、すべての必要なものを備えられるのです。主イエスは決別説教でそのように約束しておられます。

 わたしたちはここで、神の選びについて3つの点にまとめてみたいと思います。第一には、神の永遠なる予定と恵みの選びは、主イエス・キリストによって、わたしたちひとり一人に適用されるということです。主イエス・キリストの十字架の福音を信じるわたしたちは、主イエス・キリストによって選ばれていることを信仰によって選び取るのです。第二には、わたしたちが自分の判断とか意志によって信仰の道を選んだのではなく、主イエスがこのわたしを、取るに足りない、貧しく、弱く、欠けの多い、罪びとであるこのわたしを選んでくださったという、主イエスの選びこそがわたしの選びの確かさであり、わたしの信仰の確かさなのだということ。第三は、それゆえにこそ、わたしの信仰の歩みは豊かな祝福のうちにあり、神に喜ばれる信仰の実りを結ぶようになるのだということ。わたしたちは、このような神の予定と選びを信じているのです。

 主イエスの選びについて、ヨハネ福音書のこの個所から、もう一つのことを確認しておきたいと思います。15章19節にこのように書かれています。「あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した」。ここでも、主イエスの選びの重要な意味が語られます。わたしたちが主イエスによって選ばれ、キリスト者にされるということは、この世から選び分かたれるということでもあるのです。わたしたちは主キリストのものとされ、もはやこの世のものではありません。この世には住んでいますが、この世に属しているのではなく、主キリストに属しています。それはある意味ではこの世と対峙して生きることです。時には、この世から憎まれ、迫害される生き方を強いられます。なぜなら、この世は依然として罪に支配され、神を憎み、主イエス・キリストを拒む世だからです。

 それゆえに、主イエスによってこの世から選び分かたれたキリスト者のこの世での信仰の戦いは、時として過酷なものになることもあるでしょう。しかし、主イエスは告別説教の終わりで、このように約束しておられます。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」。

 次に、「神に選ばれて」のあとの「この救いの御業を信じる人はみな」という告白について学んでいきましょう。この個所は、文語訳では「おおよそ神の選びを受け、この救いの御業を信ずる者は」となっています。文語訳の「おおよそ」という言葉は、「だれであれ、だれでもみな」という意味で用いられていると理解されます。英語の翻訳ではWhosoeverという言葉が用いられています。Whoever(だれでも)を強調した言葉です。「信じる人はだれでも、ひとり残らず」という意味・内容です。

 「信じる」という言葉が『信仰告白』の中ではここで最初に用いられます。この後を見ると、「信じる人を聖化し」とあり、その後には「信仰と生活」という名詞形で出ています。後半の『使徒信条』の部分では、「父なる神を信じます」、「イエス・キリストを信じます」、「聖霊を信じます」と告白されています。

 わたしたちはここで「信じる」とはどういうことか、「信仰」とは何かを考えようとしているのですが、それに先立って、『信仰告白』の文章の続き具合をもう一度確認しておきたいと思います。「神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな」とありますから。神の選びは信じること、信仰を目ざしているということが分かります。わたしたちが神に選ばれているのは、わたしたちが信じるためであり、神によってわたしが信仰へと招かれるためなのだということです。

 神に選ばれているということは、何か、特権階級につくとか、人間として優秀で有能であるというお墨付きを神からいただくとか、それで神の特別な保護を約束されているということではありません。旧約聖書時代のユダヤ人の一部や、主イエスの時代のユダヤ教ファリサイ派・律法学者たちは、イスラエルの民が神によって選ばれたことをそのように誤解したために、預言者たちから非難され、また主イエスも彼らを厳しく叱責されたということを、わたしたちは聖書から知らされています。イスラエルが神に選ばれたのは、彼らが優秀な民であったからではなく、また彼らが選ばれたことを誇るためでもありません。神との契約を忠実に守り、ただ神だけを信じ、礼拝し、神の救いのみわざの証人となるためでした。弟子たちが主イエスによって選ばれたのも同様です。わたしたちが主イエスによって選ばれたのも、それ以外ではありません。わたしたちが主イエスをわたしの唯一の救い主と信じ、その信仰を告白するためにほかなりません。

 では、信じるとはどういうことなのでしょうか。まず、何を信じるのでしょうか。『信仰告白』では、「この救いの御業を信じる」と告白されています。「この救いの御業」とは、その前の「主は、神の永遠のご計画に従い」から「救いの完成される日までわたしたちのために執り成してくださいます」までの主イエス・キリストの救いのみわざを指しています。つまり、信じるとは、主イエス・キリストの救いのみわざを、十字架の福音を信じるということです。

 信じるとか、信仰を持つということは、神の存在を信じるとか、何か人間の力や能力を超えた漠然とした神の力や働きを信じるとか、神聖なものや神々しい、神秘的なものに心を動かされるとか、あるいはまた、何かの真理を信じるとかいうことではありません。神が、ご自身の独り子であり、まことの神であり、まことの人となられた主イエス・キリストによってわたしたちのためになしてくださった、具体的な、歴史的な、十字架と復活による救いの出来事、救いのみわざを信じるということなのです。

 さらに進んで、主イエス・キリストの救いのみわざが、2千年前にパレスチナの一角で起こった歴史的な出来事であったと信じるだけでなく、また、全人類の救いのためのみわざであったと信じるだけでもなく、ほかでもない、このわたしのための、このわたしを罪から救うためのみわざであったと信じること、この信仰へとわたしを導き入れるために、神はわたしを選ばれたのです。主イエス・キリストが、ほかでもないこのわたしのために、わたしを罪から救い出すために、苦しみを受けられ、十字架で死んでくださり、その尊い血を流して、わたしを罪の奴隷から贖い出してくださった。主イエス・キリストは、ほかでもないこのわたしが朽ちることのない永遠の命に生きるために、来るべき神の国の民として生きるために、三日目に復活され、天に昇られ、今もこのわたしのために執り成しておられる。そのことを信じるために、神はわたしを選ばれたのです。

預言者イザヤはイザヤ書55章でわたしたちをこのように招いています。「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく、ぶどう酒と乳を求めよ。なぜ、糧にもならならぬもののために銀を量って払い、飢えを満たさぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば、良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう」(55章1~3節)。「主を尋ね求めよ。見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。神に逆らう者はその道を離れ、悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる」(6~7節)。

わたしたちはこのような信仰へと招かれています。信仰とは、全くの無代価で、神から差し出される恵みを受け取ることです。わたしたちが神に何かを支払ってその代価として恵みをいただくというのではなく、糧にもならないもののために高額な代金を支払って無駄に労してきた愚かなわたしたちに、最もよい魂の糧によって養うために、神が無償で差し出してくださるゆるしの恵みを、神の側の一方的なあわれみによって受け取ること、これが信仰です。

また使徒パウロは、主イエス・キリストによってわたしのために備えられている信仰について、ローマの信徒への手紙3章21節以下でこのように語っています。「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(3章21~24節)。

わたしたちはだれでもみな、神に選ばれて、この主イエス・キリストの福音を信じるなら、その信仰によって、神のみ前に義と認められ、罪ゆるされ、救われ、神の国の民とされるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、罪の中で滅びにしか値しなかったわたしたちを、あなたがみ子の十字架の血によって、罪と死と滅びから救い出してくださったことを感謝いたします。どうか、全世界のすべての人がこの福音へと招き入れられますように。主イエス-キリストのみ名によって。アーメン。