5月14日説教「聖霊なる神」

2023年5月14日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

    『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(23回)

聖 書:イザヤ書44章1~5節

    ヨハネによる福音書14章16~31節

説教題:「聖霊なる神」

 『日本キリスト教会信仰の告白』は古代教会の信仰告白である『使徒信条』に前文を付けた「簡単信条」と言われるものであり、短い文章の中に豊かな内容のキリスト教教理、聖書の教えが凝縮されています。これまで学んできましたように、わたしたちの教会の『信仰告白』は、使徒たちの信仰を受け継いだ古代教会(あるいは初代教会)の正統的な信仰を土台にして、16世紀の宗教改革時代、特にカルヴァンの神学を柱に、その後の改革教会の神学を中心に据えた信仰を言い表しています。わたしたちの教会は「神の言葉によって、絶えず改革され続けていく教会」をこの日本の地に建てること目指してきました。

 座席前のポケットに備えられている印刷物では、2段落の2行目、「また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行なわせてくださいます」。きょうから数回にわたってこの箇所を学んでいくことにします。ここでは、聖霊なる神が、父なる神、子なる神と同じく神であるということと、その聖霊なる神のお働きについて告白されています。

 まず、「父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は」という文章は、古代信条の一つである『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』に由来していることを確認しておきたいと思います。古代教会では、様々な異端的な教えが広がったために、紀元325年に、小アジア地方、現在のトルコにあるニカイアという町で第1回世界教会会議を開催しました。その会議で、アリウス派などの間違った教えを排除し、正統的なキリスト教の教えとして『ニカイア信条』を採択しました。続いて、紀元381年にコンスタンティノポリスで開催された世界教会会議では、『ニカイア信条』に聖霊なる神の項目が付け加えられて、『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』が採択されました。

 その中で、聖霊なる神についてこのように告白されています。「わたしは、主であり、命を与える聖霊を信じます。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられ、また預言者をとおして語られました」。この告白の中の「父と子とともに礼拝され、あがめられ」がそのまま(「礼拝され」と「あがめられ」の順序が反対になっていますが)『日本キリスト教会信仰の告白』に取り入れられています。

 そこで今回は、『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』を参照しながら、聖霊なる神について告白されている内容について、ここでは何が教えられ、何が強調されているのかを学んでいくことにします。

 第一の重要なポイントは、聖霊は、天地の創造主である父なる神と、わたしたちの唯一の救い主である神の御独り子、主イエス・キリストとまったく同様に、神であることが告白されています。またその聖霊は、わたしたちが信じ、礼拝し、あがめ、賛美し、服従すべき神であるということが強調されています。

 と言うのは、古代教会の時代から、今もなおそうですが、聖霊を神とは考えなかったり、あるいは父なる神、子なる神から一段低い神のように考える誤った理解があるからです。たとえば、聖霊を人間の感情とか意志とか、あるいは霊魂と同じに考え、聖霊が神であることを否定して、人間の感情や意志を重んじる人々、古代教会ではアリウス主義という異端、今日ではエホバの証人(ものみの塔)や統一協会などの異端的な教派も、そのような考えに基づいて聖霊が神であることを否定し、また三位一体論をも否定しています。

 聖霊が神であることを否定し、人間の感情や意志、努力、また行為を強調する異端的キリスト教からは、必然的に主イエス・キリストの救いのみわざを不完全なものにするという結論が生じます。そして、主イエスの救いのみわざの不完全な部分を人間が補うという考えに発展していきます。それが、信者の霊的な働きとか、強い意志とか、熱心な活動によってなされていくようになります。異端的なキリスト教会が献金や布教活動に異常なまでに熱心になるのはそのためです。

 けれども、そのような考え方は、わたしたちがこれまで学んできたことに照らし合わせてみるならば、間違った信仰の理解であることが直ちに明らかになります。すなわち、神の主導的な選びの教えと信仰義認の教えとは矛盾することが分ります。神はわたしたち人間の意志とか努力とかに先立って、このわたしを選ばれ、わたしを救いの道へとお招きくださいました。わたしは罪びとの仲間であり、何一つ神のみ心を行うことができないにもかかわらず、み子主イエス・キリストがわたしのためになしてくださった救いのみわざによって、神はわたしを義と認め、わたしの罪をゆるしてくださいました。わたしの救いは、100パーセント神のみわざによるのであり、人間のあらゆる意志や行動に先立つ、神の側からの一方的な恵み、恩恵によってわたしは救われているのです。そこには、人間の感情とか意志、あるいは熱心さとかは全く入り込む余地がないことが明らかです。

 いや、それだけでなく、わたしたちが聖霊なる神を信じ、告白することによって、聖霊なる神もまた、父なる神、み子なる神と共に、わたしたち人間の救いのために、先行的に、主導的に働いてくださるということを知らされます。神は、父なる神として、み子なる神として、そして聖霊なる神として、神ご自身の全ご人格によって、わたしたちの救いのためにお働きくださいます。神の全存在、神のすべての力、恵み、知恵、愛、それらをお用いになって、わたしたちのための救いのみわざを完全になしてくださいます。神の救いのみわざは完全であり、永遠であり、人間や他の何ものかによって補われなければならないことは全くありません。

 ここで、古代から中世にかけて教会で論争されてきた聖霊発出論争について簡単に触れておきたいと思います。『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』では「聖霊は父と子とから出る」と告白されていました。ところが、聖霊が父なる神と子なる神の両方から出るのか、それとも父なる神からのみ出るのかをめぐって西方教会と東方教会がその後も長く論争を続けました。西方教会(ローマ教会)は「聖霊は父と子から発出する」という説をとり、東方教会(ギリシャ教会、日本ではハリストス正教会)は「父から」(のみ)という説を主張し、この違いが東西教会の分裂の大きな原因となったと言われます。

 では、聖書ではどのように教えられているでしょうか。ヨハネによる福音書14章16、17節を読んでみましょう。【16~17節a】(197ページ)。ここでは、聖霊は父なる神が遣わすと言われています。次に、ヨハネ福音書15章26節では、【26節】。ここでは、わたし(主イエス)が聖霊をあなたがたに遣わすと言われていると理解できます。これらのみ言葉から、わたしたちプロテスタント教会は正方教会(ローマ教会)と同じく、聖霊は「父と子とから出る」と告白しています。

 では、聖霊なる神とはどのような神なのか、どのようなお働きをするのかを見ていきましょう。聖霊なる神のお働きは、旧約聖書でも新約聖書でも数多く語られています。『ニカイア・コンスタンティノス信条』では、「聖霊は預言者をとおして語られた」と告白されていました。旧約聖書の天地創造の時から、聖霊は永遠なる神として存在しておられましたが、特に預言者たちの活動をとおして、彼らが語った神のみ言葉の説教と共に聖霊は働かれ、イスラエルの民の信仰を導かれました。

新約聖書から、ヨハネ福音書と使徒言行録のみ言葉を取り上げます。先ほど読んだヨハネ福音書14章16節でも15章26節でも、聖霊は「弁護者」と呼ばれています。元来の意味は「かたわらに呼び出された人」であり、日本語では弁護者、助け主、慰め主とも訳されます。

 主イエスが十字架につけられ、死んで葬られ、40日目に天に昇られたあとに、主イエスは弟子たちを決して孤児のようにはさせないと約束されました。そして、天に昇られてから父なる神と共に、聖霊をこの世に、弟子たちの上に、またわたしたちの上に派遣してくださいました。聖霊はいつでも、どこでも、常に弟子たち、またわたしたち信仰者と共にいてくださる神です。わたしたちを罪の攻撃や誘惑から守り、助け、弁護し、時に信仰の戦いに疲れるわたしたちを慰め、励まし、わたしたちの信仰を終わりの日の完成の時まで導かれる神、それが聖霊です。

 また、ヨハネ福音書14章26節では、聖霊が弟子たちに、主イエスが語られた神の国の福音が生ける神のみ言葉であることを思い起こさせるであろうと言われています。聖霊は主イエスがお語りになった神の国の福音がすべての人を救う命と力とを持っていることを信じさせ、弟子たちを、またわたしたちを救いへと導き入れる働きをされます。聖霊が働く時、聖書のみ言葉とその解き明かしがわたしの救いとなってわたしに響き、わたしを救いへと導くのです。

 同じヨハネ福音書15章26節では、聖霊は「真理の霊」とも呼ばれ、主イエスについて証しをするであろうと言われています。聖霊は教会の福音宣教を導く神でもあられます。聖霊は神の真理をこの世に対して証しをし、主イエスの十字架の福音をこの世に宣べ伝える教会の務めを導きます。

 その教会の使命を果たすために、神はペンテコステの日に聖霊を弟子たちの上に豊かに注ぎ、エルサレムに世界最初の教会をお建てくださいました。使徒言行録2章に書かれているとおりです。主イエスは天に挙げられる直前に弟子たちにこのように約束されました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1章8節)。その約束が10日後のペンテコステの日に成就したのです。

 聖霊は今や全世界のあらゆる町々村々に教会を建て、その教会をとおして今も働いておられ、すべての人を主キリストの福音へと招いておられます。わたしたちの福音宣教の務めと奉仕を支え、導いておられます。また、わたしたち一人一人の信仰の歩みを導いておられます。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、わたしたちの教会の上に、またわたしたち一人一人の上にも、聖霊を豊かに注いでください。わたしたちを聖霊の器としてお用いくださり、主イエス・キリストの体なる教会を建てるために、また全世界のすべての人々に主キリストの福音を宣べ伝えるために、わたしたちをお用いください。

○主なる神よ、どうかこの世界を顧みてください。戦争や紛争が絶えない地域、不正義と不平等によって略奪や飢餓に苦しむ弱い人たち、差別や格差の中で取り残されている孤独で病んでいる人たち、いま世界は主なる神であるあなたからの和解と平和、癒しと希望を切望しています。どうかこの世界に救いを与えてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

5月7日説教「ダマスコで宣教したパウロ」

2023年5月7日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:エレミヤ書18章1~10節

    使徒言行録9章19b~25節

説教題:「ダマスコで宣教したパウロ」

 キリスト教会の迫害者であったサウロ、のちのパウロは、ユダヤ教の大祭司からの委任状を携えて、エルサレムから北へ200キロメートルも離れているシリア州ダマスコへ向かいました。その町に住むキリスト者を捕らえて、エルサレムへ連行するためでした。ところが、ダマスコの町の入口で、突然天からの強い光に照らされたパウロは地に倒れ、復活された主イエスのみ声を聞きました。これが、迫害者パウロと迫害されていた主イエスとの劇的な出会いでした。この時から、パウロはキリスト教会の迫害者からキリスト教会の宣教者、使徒パウロに変えられたのです。わたしたちの罪のための十字架に付けられ、三日目に復活されて、罪と死とに勝利された主イエス・キリストが、古いユダヤ教の律法に生きていたパウロをひとたび滅ぼし、死なせ、新しく主キリストの福音によって生きるパウロとして、再び生き返らせてくださったのです。ユダヤ教の律法の奴隷であったパウロを、主キリストの福音によって開放し、自由と喜びをもって主キリストの福音を宣べ伝える宣教者、使徒としてくださったのです。

 使徒言行録9章19節後半から20節にはこのように書かれています。【19節b~20節】。19節から30節によれば、パウロは復活の主イエスと出会って使徒となってからしばらくの間、ダマスコにとどまり、主イエスの福音を語り伝え、そののち、その町でユダヤ人によって命を狙われるようになり、ダマスコを脱出してエルサレムに向かい、それからカイサリアで船に乗り、パウロの故郷である小アジア地方タルソスへ行ったと書かれています。

 ところが、ガラテヤの信徒への手紙1章13節以下では、ダマスコで復活の主イエスによって異邦人のための宣教者とされた時、パウロはすぐにアラビヤへ行き、それからダマスコに戻ってきて、その後3年してからエルサレムの使徒たちに会ったと彼自身が書いています。

 使徒言行録とガラテヤの信徒への手紙には調整することができない違いがありますが、この違いはそれぞれの強調点の違いと見ることができると思います。使徒言行録では、キリスト教会の迫害者であったパウロが、突然に180度方向転換をしてキリスト教の宣教者となり、ユダヤ人キリスト者を迫害するために行った町で、すぐに主イエス・キリストの福音をその町にいるユダヤ人に宣べ伝えたということが強調されています。それに対して、ガラテヤの信徒への手紙では、ユダヤ人以外の異邦人のための使徒として召されたパウロが、主イエスご命令を受けてすぐに異邦人の地アラビヤにでかけて行き、そこで福音を宣教したということが強調されています。

 では、使徒言行録で強調されている迫害者パウロが迫害されるパウロに変わっていった次第について学んでいきましょう。19節に、「ダマスコの弟子たち」とあることから明らかなように、この町はシリア州にあり、イスラエルの外の異邦人の地ですが、そこにはかなりのキリスト者がいたことが分ります。8章1節に書かれていたエルサレム教会に起こった大迫害で、エルサレム市内から追放されたキリスト者もその中にはいたと推測されます。もっとも、よく考えてみますと、パウロはそのキリスト者を迫害するためにダマスコに来たわけですから、それは当然と言えば当然なのですが、さらに続けて、パウロは彼らと「一緒にいて」と書かれていることは、実は驚くべき情況であることに気づかされます。迫害しようとしていた人と迫害されるべきであった人たちが、今や一緒にいるからです。共に主イエス・キリストの福音を宣べ伝えているからです。主イエスの福音が敵対していた人間たちを一つに結びつけ、共に福音のために仕える同労者とするという実例を、ここで確認することができます。

 20節の「会堂」(ギリシャ語ではシュナゴーゲー、シナゴーグですが)はキリスト者の集会を指す場合もありますが、ここではユダヤ教の会堂と理解すべきです。ダマスコには離散のユダヤ人(デアスポラ)がたくさん住んでいて、ユダヤ教の会堂がいくつもあったことが分ります。パウロはまずそこで主キリストの福音を語りました。それは、13章以下で、パウロが計3回の世界伝道旅行にでかけて、町々で宣教活動を開始する際と同じやり方です。世界の至る地域にデアスポラのユダヤ人がいましたから、パウロは新しい町に入ると、まずユダヤ人会堂を探して、そこで福音を語りました。

 パウロは異邦人伝道の使徒として召されたという強い自覚をもっていました。また、それが復活の主イエスと出会った時の主のご命令であったということが15節に書かれていました。そうであるにもかかわらず、彼がまずユダヤ人に主キリストの福音を語ったことには理由がありました。それは、神がまず全世界の中からイスラエルの民ユダヤ人をお選びになり、ご自身の契約の民とされたからです。パウロは神のこのような救いの秩序、救いのご計画を重んじました。先に選ばれたユダヤ人をとおして,あるいは、彼らのつまずきをとおして、神はさらにユダヤ人以外の異邦人へと救いのみ手を広げられたのです。そして今や、主イエス・キリストの十字架の福音によって、全世界のすべての人が救いへと招かれているのです。

 「この人こそ神の子である」。これがダマスコでの、キリスト者となって最初のパウロの宣教の中心的メッセージでした。これはパウロの最初の信仰告白であると言えます。ナザレで生まれ育ち、ガリラヤで神の国の福音を説教し、エルサレムで捕らえられ、十字架で裁かれ、死んで葬られ、三日目に復活された主イエス、この方こそが神のみ子であり、神の救いのご計画を成就された方であるという告白です。これまで、ユダヤ教ファリサイ派の指導者として、律法に生きてきたパウロが、今や「主イエスこそが神のみ子である」という信仰告白によって生きるキリスト者とされているのです。

22節には、「イエスがメシアである」という信仰告白があります。これらの告白と共に、「イエスは主である」という告白が、パウロと初代教会の信仰告白の中心、骨格を形成しています。「イエスは主である」。「イエスは神の子である」。「イエスはメシアである」。これらの告白を土台にして、のちに『使徒信条』が形成され、また『日本キリスト教会信仰の告白』が作成されています。

次に、【21節】。人々の驚きは、まさに神の奇跡を見た驚きであると言ってよいでしょう。神は、十字架に付けられ、復活された主イエスによって、教会の迫害者であったパウロを、教会の宣教者パウロへと造り替えてくださったのです。さらにはまた、ユダヤ教の律法に違反し、エルサレム神殿を汚し、神を冒涜した罪で裁かれた主イエスを、その裁いた側に立っていたパウロによって、神のみ心を行う神のみ子であると告白されていることへの驚きでもありました。それは、主イエスを十字架につけて裁こうとしたユダヤ人指導者たちの行動が間違っていたことを暗示するものでもありました。

「この名を呼び求める者たち」とはキリスト者たち、クリスチャンの別名です。キリスト者以外のユダヤ人は、イエスとかキリストというお名前を口に出すことを恐れて、「この名」と表現しました。うっかり、イエスとかキリストというお名前を口にしたら、その方の力が自分に及んでくるかもしれないと考えたからです。主イエス・キリストというお名前にはそのような偉大な神の力が働いていると考えられていました。主イエスを信じないユダヤ人はそのことを恐れていました。けれども、わたしたちキリスト者はこの方のお名前が持つ救いの力を信じ、この方のお名前によって洗礼を授けられました。

 【22節】。パウロはユダヤ人の不信仰と批判や攻撃を少しも恐れません。それによって、福音を語ることをやめることは決してありません。むしろ、彼は日々に新たな力を与えられて、主イエス・キリストの福音を語り続けました。神のみ言葉は、この世のどのような鎖によっても決してつながれることはないからです。

 「イエスはメシアである」という告白についてもう少し詳しく見ていきましょう。メシアとは、以前にもお話ししましたように「油注がれた者」という意味のヘブライ語です。キリストはそのギリシャ語訳です。日本語では「救い主」と訳されます。旧約聖書の民イスラエルは,長い苦難と迫害の歴史の中で、神は終わりの日に、イスラエルと全世界のすべての民のためのまことの救い主をこの世にお遣わしくださるであろうということを信じ、待ち望んでいました。その救い主を、まことの、永遠の預言者であり、まことの、永遠の祭司であり、そして、まことの、永遠の王である「油注がれた者」・メシアと呼びました。主イエスこそが旧約聖書で預言されたそのメシアであるという信仰告白です。このメシア・キリスト・救い主によって、神の永遠の救いのご計画が成就されたのです。このメシア・キリスト・救い主に、すべての人の、わたしの救いがあるのです。

 パウロはこれまで熱心なユダヤ教徒そして、ファリサイ派律法学者として、神の律法を一つ一つ守り行うことによって救われる、神の国に入ることができると考えていました。そのために努力してきました。けれども、そうではない。わたしがわたしの力や知恵や努力によってわたしの救いを手に入れるのではない。わたしの救いのために、わたしに代わって、十字架で死んでくださり、ご自身の尊い命をわたしのためにささげつくされた主イエス・キリストによってこそ、またこの主イエス・キリストによってのみ、わたしは罪ゆるされ、神の国での永遠の命の保証が与えられている、この信仰こそがわたしの確かな、そして唯一の救いなのです。

 【23~25節】。サウロ、のちのパウロはユダヤ人にとっては裏切り者のように映ったに違いありません。もしこの時に、彼の周囲のキリスト者たちが知恵を働かせ、勇気をもってパウロを助け出さなければ、ステファノに続いて二人目の殉教者を出すことになっていたかもしれません。もしそうなれば、それは初代教会にとってのみならず、のちの世界の教会にとってどんなにか大きな損失になったことでしょうか。しかし、神はそれをお許しにはなりませんでした。神はパウロを死の危険から救い出されました。

 そのようにして、かつて熱心なユダヤ教ファリサイ派の一人としてキリスト者の命を奪おうと迫害の息をはずませていたパウロが、今や熱心なキリスト者となり、ユダヤ人から命を狙われる者となりました。16節で復活の主イエスが言われたように、「わたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示そう」、このみ言葉が、早くも成就し、実現することとなったのです。神は神にお仕えする使徒パウロを、その生涯にわたってみ心のままに導かれ、彼の多くの苦難、試練、迫害をとおして、ご自身の救いのみわざを前進させられたのです。

(執り成しの祈り)

○天の父なる神よ、かつて初代教会の使徒たちが主キリストの福音を宣べ伝えるために、すべての苦難や試練を喜んで耐え忍んだように、わたしたちをも喜んで福音にお仕えする一人一人としてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月30日説教「ペトロの信仰告白」

2023年4月30日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:申命記26章5~11節

    ルカによる福音書9章18~20節

説教題:「ペトロの信仰告白」

ルカによる福音書9章18節から27節までを福音書前半のクライマックス、頂点と見ることができます。ここには、重要な3つのことが書かれています。

18~20節ではペトロの信仰告白、21~22節では主イエスの第1回目の受難予告、23~27節では十字架を背負って主イエスに従うというキリスト者の信仰生活。この3つのことは、それぞれが独立して語られているのではなく、互いに深く関連しあっているので、いつもこの3つを一緒に考えることが重要です。

 きょうは18~20節のペトロの信仰告白の箇所だけを読みましたが、この後で語られる主イエスの受難予告、また十字架を背負って主イエスに従って行くというわたしたちの信仰生活、この3つを関連付けながら学んでいくことが大切です。

 【18節】。わたしたちはここでも主イエスの祈りのお姿に出会います。主イエスの祈りの人であったということをこれまでも確認してきました。ルカ福音書は他の福音書よりも多く主イエスの祈りのお姿と祈りの言葉を伝えています。3章21節には、主イエスが洗礼をお受けになった時に祈っておられたと書かれていました。5章16節には、「イエスは人里離れたところに退いて祈っておられた」と書かれています。6章12節で、12弟子をお選びになった時には徹夜で祈られました。このあと、9章29節では、山に登って祈られた時に、主イエスのお姿が真っ白に輝いたという、山上の変貌が書かれています。11章1節では、主イエスが祈っておられるお姿を見た弟子たちが、「わたしたちにも祈りを教えてください」と願い、そこで「主の祈り」を教えられてことが書かれています。22章39節以下では、オリーブ山での受難週の祈り、ここには苦しみもだえながら汗を血の滴りのように地面に落としての祈りのお姿と、祈りの言葉、そして23章46節では、十字架上での最後の祈り、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」があります。

 このように、主イエスは重要な場面では必ず祈っておられました。父なる神に徹底して服従され、神のみ心を伺いつつ、それに従われました。祈りはまことの神であられ、まことの人となられた主イエスの行動と説教の源であったということを知らされます。わたしたちもまたこのような主イエスの祈りの姿勢にならいたいと願います。

 「ひとりで祈っておられた」いう表現には、父なる神と、その神の独り子なる主イエスとの、特別な関係が暗示されています。主イエスの祈りは父なる神との一対一の対話であり、父なる神のみ心を知ることですから、主イエスと父なる神との間には他の何ものも介在しません。しかし、わたしたち人間の場合は、神とわたしとの間には罪があって、その罪が神とわたしとの間を隔てていますから、わたしは自分の方からは神に近づくことはできません。けれども、主イエス・キリストの十字架によって罪をゆるされることによって、わたしたちは主イエス・キリストのみ名をとおして神に祈ることが許されるようになりました。わたしたちが祈りの最後に、「この祈りを主イエス・キリストのみ名によってみ前におささげします」と祈るのはそのためです。

 18節には続けて、「弟子たちは共にいた」と書かれていますが、主イエスが一人で祈られたことと「弟子たちが共にいた」ということが矛盾しないのは、その理由によります。12人の弟子たちも主イエスと一緒に、同じ場所で祈っていたのかもしれません。でも、主イエスの祈りと弟子たちの祈りは根本的な違いがありました。主イエスの祈りは神の御独り子の祈りであり、弟子たちの祈りは罪ゆるされている罪びとの祈りなのです。主イエスはただお一人、神のみ子として、わたしたちすべての罪びとたちに先立って、父なる神に特別な祈りをしておられるのです。その祈りによって、主イエスはここで「あなたは神のメシアです」と弟子たちによって告白されるのです。また、父なる神の救いのご計画にしたがい、ご受難と十字架への道を歩まれるのです。そして、それによって、すべての信仰者たちが喜んで十字架を背負って主イエスに従って行くことができる道をわたしたちのために備えられたのです。

 主イエスが弟子たちに「群衆はわたしを何者だと言っているか」と問われたのは、ご自分の評判を気にしておられたからでは決してありません。あるいは,それによって、これまでの神の国についての説教がどれほどの成果をあげているかを測ろうとされたのでもありません。主イエスはこの世の人々の評判や群衆の目を気にして、それによって行動したり、道を選んだりなさることはありません。主イエスは徹底して父なる神のみ心だけに従い、最後には人々に侮られ、ののしられ、辱められながら、ただお一人で十字架への道を進んで行かれました。まだだれ一人として、自分の罪の大きさに気づかず、その罪と戦うこともしていなかったときに、主イエスはただお一人だけ、わたしたちの罪のためにご自身の血を流されるほどに、戦われ、そして勝利されました。

 ではなぜ、主イエスは弟子たちに、「群衆はわたしをだれと言っているか」と尋ねられたのでしょうか。それは、次の問いの準備のためです。すなわち、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」。この弟子たちに対する質問を強めるためです。他の人がどう言っているかとか、この世の人々がどう見ているか、政治家や学者がどう評論しているかではなくて、あなたがたは、あなた自身はどう考えるのか、どう信じるのか、ということを主イエス問うておられるのです。弟子たち一人一人が、またわたしたち一人一人が、主イエスのこの問いの前に立たされているのです。主イエスのみ前で、わたしの全存在をかけて、主イエスをわたしの救い主であると告白する、その告白へと招かれているのです。

 その前に、当時のユダヤ人が主イエスをどう見ていたかが19節に報告されています。【19節】。一つは、「洗礼者ヨハネが生き返った」という評判です。第二には、「旧約聖書時代の預言者エリヤ」の再来だという見方、三つめは、「旧約聖書時代に活躍していたほかの有名な預言者の一人が生き返った」という説、これら三つの評判についてはすでに7~8節に書かれていた内容と一致します。ガリラヤ地方の領主ヘロデ・アンティパスがそれらの評判を耳にして戸惑い、恐れていた姿がそこでは描かれていました。

 当時のユダヤ人が主イエスをこのように見ていたことの背景には、メシア待望の機運のようなものがあったことと関係していると思われます。神の契約の民イスラエル・ユダヤ人は長く苦難と迫害の歴史を歩んできました。紀元前6世紀にイスラエル王国が滅び、民の多くが異国の地バビロンに捕虜として連れ去られました。その後、カナンの地に帰還してから、王国の再建を願ってきましたが、独立国家として立つことができず、預言者の活動も衰退し、政治的にも宗教的にも希望を見いだせないでいました。信仰熱心な人たちは、神がかつて約束された偉大なる預言者やメシア・救い主の到来を強く待ち望むようになっていました。また、実際に、「我こそはメシア」と名乗って、社会を驚かそうとした偽のメシアが何人にも登場していました。

 そのような時に、洗礼者ヨハネがユダの荒れ野で、近づきつつある神の国とメシア・救い主の到来を説教し、多くの信奉者を集めていましたので、もしかしたらこのヨハネこそが来るべきメシアではないかと考える人たちもいたようです。けれども、ヨハネ自身はそのことを否定し、わたしのあとにおいでになる方が待ち望まれていたメシアだと語りました。そのヨハネも領主ヘロデによって処刑されてしまい、人々のかすかなメシア待望の光も消えかけていたのでした。

 そのような状況の中で、主イエスは、「それでは、あなたがたはわたしを何者と言うのか」と問われました。20節の文章では、「あなたがたは」という言葉が文頭に置かれ、強調されています。ほかのだれかがどう言っているかではなく、あなたの家族や友人がどう思っているかでもなく、あなた自身は主イエスをどのような者だと言うのか、どのような方だと言い表すのか、と主イエスは問うておられます。それに対するわたしたちの答えが、信仰告白と言われるものです。

 ペトロはここで、「あなたは神からのメシアです」と答えます。ペトロは12弟子を代表して答えています。ペトロの信仰告白は弟子たちみんなの信仰告白です。

 「メシア」という言葉は、ヘブライ語で「油注がれた者」という意味です。「キリスト」はそのギリシャ語訳です。旧約聖書時代にイスラエルでは,預言者、祭司、王がそれぞれの職に任命される際には、頭からオリーブ油を注ぐという儀式を行いました。神はご自身の救いを完成させてくださる最後の時に、まことの預言者であり、まことの祭司であり、まことの王である救い主をこの世界に派遣してくださるという信仰が次第に成長して、その救い主をメシア、「油注がれた者」、「キリスト」と呼ぶようになりました。

 ペトロはここで、主イエスこそが旧約聖書で神が約束された真実の、永遠の、そしてすべての人の、唯一のメシア・キリスト・救い主であると告白しました。マタイ福音書16章13節以下には、主イエスはこのペトロの信仰告白を天の父なる神から与えられた信仰告白だと言われたことが書かれています。のちのすべての教会の民は、この信仰告白によって生きるのだとも言われました。

 このペトロの信仰告白は正しい信仰告白でしたが、それにもかかわらずペトロハは十字架の主イエスにつまずき、十字架の主イエスを3度「知らない」と否認しました。この時のペトロの信仰告白は、いわば、まだ未完成でした。この信仰告白が真実なわたしたちの信仰告白となるためには、次に続く主イエスの受難予告と密接に結びつけることが重要なのです。

 説教の最初で確認しましたように、このメシア・キリストがどのような方であるのか、どのようにしてその救いのみわざを成し遂げられるのかを、続く21節以下で語っているからです。すなわち、このメシア・キリストは、多くのユダヤ人が予想していたように、力と権力によって外国の支配をうち破り、立派な軍馬にまたがって登場する偉大な王様として神の救いを成し遂げるメシアなのではなく、ユダヤ人指導者たちによって排斥され、人々に見捨てられ、ご自身が受難と十字架への道を進まれることによって、ご自身の命をすべての人の罪を贖う供え物としておささげくださることによって、わたしたちの救いを成就してくださるメシア・キリストなのです。

それゆえに、わたしたちは罪ゆるされ、救われている者たちとして、感謝と喜びとをもって、主キリストの十字架を背負って、自分自身を神と隣人のためにささげる信仰者として、主キリストに従っていくのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、わたしたち全人類の罪のために苦しまれ、十字架への道を進み行かれた主イエスを、わたしの唯一の救い主と信じる信仰を、わたしにも与えてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月23日説教「ヨセフが見た夢」

2023年4月23日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記37章1~11節

    ローマの信徒への手紙11章25~36節

説教題:「ヨセフが見た夢」

 創世記12章からのアブラハム、イサク、ヤコブの3代にわたる族長物語と言われる箇所を続けて読んできましたが、37章からは族長ヤコブの12人の子どもたち、特にその中の一人ヨセフを主人公とするヨセフ物語が始まります。

 【1~2節】。1節に「ヤコブは」とあり、また2節でも「ヤコブの家族の由来は次のとおりである」と書かれています。これから実際に描かれる内容は、ヤコブの子ヨセフの生涯と歩みについてなのですが、ヤコブが49章33節で地上の命を終えるまでは、彼が一族の族長として、あるいは一家の長としての権威を持っていると考えられたので、ヨセフの物語も族長ヤコブの系図の中で語られています。

このことには重要な意味が含まれています。1節の後半に、「父がかつて滞在していたカナン地方に住んでいた」と付け加えられていることとも関連しているのですが、これから始まるヨセフ物語がアブラハム、イサク、ヤコブという族長たちに与えられた神の契約、神の約束のみ言葉を受け継いでいるのだということを、今一度ここで確認しているのです。すなわち、神は3人の族長たちに、アブラハムに、イサクに、そしてヤコブに、何度も繰り返してお語りになったように、「彼らの家系から生まれる子孫を星の数ほどに増し加える。また、カナンの地を彼らの子孫の相続地として与える」という契約が、ヤコブの子ヨセフにも受け継がれているということを、ヨセフ物語の初めで確認しているのです。

 このあとで、ヨセフやそのほかの子どもたちに対して、神がかつて族長たちに語られた約束が、直接に語られることはありません。また、しばしば指摘されることですが、ヨセフ物語の中には神という言葉はほとんど用いられていません。神について直接に語られることもほとんどありません。語られている出来事の多くはこの世界での人間たちの行動です。ヨセフとその兄弟たち、ヨセフとエジプトの指導者たちの人間模様が語られていて、そこに神のみ心があるということは、直接的には語られることはありません。けれども、そこには確かに主なる神のご計画があり、神の救いのみ心があるということ、ヨセフと彼の周辺の人間たちはみな神のご支配のもとにあって行動しているということ、そしてそれによって神の救いのご計画が着々と進められているということを、わたしたちはヨセフ物語から読み取ることができます。また、どのページを読むときでも、そのことを意識して読まなければなりません。

 神がアブラハム、イサク、ヤコブという族長たちによってお始めになった救いのみわざはその子ヨセフと彼の兄弟たちへと受け継がれ、その後のエジプトでの400年間の彼らの寄留の生活でも、神の約束のみ言葉は決して忘れ去られることはなく、出エジプトによって誕生した神の民イスラエルへと受け継がれ、さらにはイスラエルに約束されたメシア・救い主イエス・キリストによって、全世界のすべての教会の民へと継続されていくのです。

 では次に、ヨセフの誕生について振り返ってみましょう。彼の誕生の次第が、彼のこれからの人生に少なからず影響を与えることになるからです。ヨセフはヤコブと妻ラケルとの間に生まれた最初の子でした。ヨセフは長く待ち望まれた子でした。ヤコブともう一人の妻レアとの間には6人の子どもが次々と授けられましたが、ヤコブが愛していたラケルには、二人の熱心な祈りと願いにもかかわらず、神は長い間彼らに子どもをお授けにはなりませんでした。それは、彼らが神のみ心が成就される時を、信仰をもって、忍耐強く待ち望むための訓練のためだったのでした。神は人間の愛や願いや計画をはるかに超えて、み心を行ってくださることを、彼らは学ばなければなりません。そして、神のみ心が成就した時になって、ラケルは身ごもり、男の子を生みました。ラケルは、「神がわたしの恥をすすいでくださった。神がわたしにもう一人男の子を加えてくださるように」と言って、その子をヨセフと名付けたことが30章23、24節に書かれていました。

 ところが、そのようにして与えられた子ヨセフが、ヤコブの家族に新たなつまずきをもたらすことになったということを、わたしたちは次のみ言葉で聞きます。【3~4節】。1節でヤコブと言われていたのが、3節ではイスラエルに変わっていますが、これは1、2節と3節以下とのもとの資料が違っているからと説明されます。ヤコブからイスラエルに名前が変更されたことについては32章29節と35章10節とに2度書かれていました。

ヤコブ・イスラエルはヨセフが愛する妻ラケルに生まれた子であり、長い祈りの末に、年取ってから与えられた子であるので、ことさらにかわいがって育て、ほかの兄たちよりも贅沢な晴れ着を着せていました。裾の長い着物は労働には不向きです。父ヤコブはヨセフには働かなくてもよいように特別な配慮をしていたようです。それを見ていた兄たちは父を憎んでいました。父のヨセフに対する偏愛が、父親に対する兄たちの憎しみを生み出し、また兄弟同士の分裂を生んでいきます。親が特定の子だけを格別に愛する偏愛が、この家庭に新たな深刻な問題を生み出すことになります。

 顧みれば、ヤコブ自身も母リベカの偏愛を受けていました。母の提案によって、父イサクと兄エサウとを欺いて、ヤコブは長男としての特権を兄から奪い取りました。それがもとで、兄の怒りを買い、命を狙われたので、家を飛び出して遠いハランの地へ逃げ、そこで20年もの間、困難な逃亡生活を送らなければならなくなりました。おそらくは、その20年の間に母リベカは死に、母と子は再会することができませんでした。母と子の偏った愛は、ついには母と子の永遠の別離を生み出すほかになかったということを、わたしたちは知らされます。

 このような、破れた夫婦の愛、歪んだ親子の愛、欠陥だらけの兄弟の愛が繰り広げられる人間たちの歩みの中で、主なる神は永遠に変わらない真実の愛をもって、アブラハム、イサク、ヤコブという3代の族長たちの家庭を導かれ、その中で神の救いのみわざをなし続けられたのだということを、わたしたちは改めて教えられます。

 【5~10節】。ここにはヨセフが見た二つの夢について、またその夢のことを兄たちや両親に話したことが語られています。ヨセフが見た夢にはどのような意味があるのでしょうか。創世記の中にはこれまでにも夢のことが何度か語られていました。28章では、ヤコブがベテルで石を枕にして眠っていたときに、天から地にまで届く階段を神のみ使いたちが上り下りしている夢を見たことが書かれていました。また、31章11節には、ヤコブが夢の中で神のみ使いの呼びかけを聞いたことが書かれていました。これらの族長たちが見た夢は、明らかにそれが天におられる主なる神からの知らせ、啓示であると言えます。神の夢の中で、夢をとおして、ご自分のみ心やご計画を信仰者にお示しになります。

 ではヨセフが見た夢は何でしょうか。彼の空想だったというべきでしょうか。彼が見た二つの夢には神は全く登場していませんし、何か神の働きを暗示するものもありません。そこから、この夢はヨセフの独りよがりの空想だと考える注解者もいますが、わたしはそうではないと考えます。確かに、その夢を得意げに兄たちや両親に話しているように映るヨセフの態度には、傲慢な姿を読み取ることができるかもしれませんが、聖書ではどのような夢でも、そこには隠された神のみ心とご計画があるという点では一致していると見るべきですから、ヨセフの夢にも神のみ心が現れていると考えてよいと思います。ヨセフ自身は、この夢に神のみ心はあると気づいてはいなかったでしょうが、また神がどのようにして自分が見た夢を実現に至らせてくださるのかをも全く分かっていなかったのですが、神は確かにヨセフの夢を実現させてくださったということを、わたしたちのあとで読みます。ヨセフが見た夢の実現については42章6節と50章18節以下に書かれているからです。

 その個所に至るまでは、ヨセフの夢の実現については、主なる神以外には、まだだれにも知られていませんから、ヨセフが見た夢は神がのちに起こるべきことを、あらかじめこのようにしてお示しになられたのだと理解するほかにありません。

ヨセフの夢についてもう少し詳しく見ていきましょう。7節に、「畑でわたしたちが束を結わえていると」とあります。26章12節には、「イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった」と書かれています。これらの記述から、族長たちは最初は遊牧民として家畜を飼い、牧草を求めて土地を移動していましたが、のちの時代にはだんだんと一か所に定住するようになり、穀物の栽培を始めるように変わっていったという、族長たちの生活様式の変化に気づかされます。

ヨセフは父ヤコブから裾の長い着物を着せてもらい、仕事をしなくてもよい贅沢な身分だったはずなのに、この夢の中では自分が一生懸命に働いていることになっています。ここにも、親が年を取ってから生まれ、甘やかされて育った子どものわがままや独りよがりな性格が表れていると言えます。兄たちにはそのこともまた腹立たしく、憎らしく思えたに違いありません。

9節の、「太陽と月と十一の星」が、ヨセフの両親、ヤコブとラケル、それに11人の兄たち(この中には弟のベニヤミンも含まれますが)を指していることは、すぐに兄たちと父ヤコブに理解できたでしょう。この夢もまた、何とも傲慢で、生意気なヨセフの性格を表していることを知って、兄たちも父親も激怒しました。ただし、厳密には、ヨセフの母ラケルはベニヤミンを生んですぐに亡くなっていますから、月は他の兄弟たちの母を象徴していると考えられます。

【11節】。兄たちは、ヨセフがいつか自分たちを攻撃し、自分たちを力で支配するつもりでいるらしいという、恐れと恐怖心を抱いたようです。その恐怖心が、この後でヨセフを殺そうとするたくらみへと発展していくことになります。しかし、父ヤコブは「このことを心に留めた」と書かれています。ヤコブはこの家の長として、アブラハムからの神の約束を受け継ぐ族長として、ヨセフの夢に神の救いのご計画が潜んでいることをわずかに悟っていました。わがままで生意気な子、ヨセフをもお用いになって、神がみ心を行ってくださることを信じました。

わたしたちもまた、主なる神が、この混乱した世界と罪の人間たちの過ちや愚かさをもお用いになって、隠れたかたちでご自身のみ心を行ってくださることを、信仰の目をもって見ぬいていきたいと願います。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、わたしたちにあなたのみ心をお示しください。あなたがこの世界の中で、永遠の救いのみわざを確かに進めておられることを信じさせてください。あなたがわたしたち一人一人の日々の歩みを終わりの日の完成に向けてお導きください。わたしたちからすべての恐れや不安や迷いを取り去って、感謝と喜びと希望で満たしてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月16日説教「神の子とされる」

2023年4月16日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

             『日本キリスト教会信仰の告白』連続講解(22)

聖 書:ホセア書11章1~4節

    ヨハネの手紙一3章1~10節

説教題:「神の子とされる」

 日本キリスト教会秋田教会は、1934年(昭和9年)4月15日(日)に教会建設式と教師紺野瀧一郎の牧師就職式を行いました。今年は教会建設から89年を迎えます。これまでの神のお導きに感謝いたします。当時の東北中会では、数年前から「自給十年計画」が実施され、外国ミッションからの経済的自立を目指して、自給独立の教会建設に励んでいました。

 その後、秋田教会は戦時中に日本基督教団に合同しましたが、1951年(昭和26年)5月20日(日)の秋田教会臨時総会で日本キリスト教会に加入することを決議しました。今わたしたちが学んでいる『日本キリスト教会信仰の告白』は1953年10月に開催された日本キリスト教会第3回大会で制定されました。

 『日本キリスト教会信仰の告白』の第二段落の最初の文章を読んでみましょう。「神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ、功績なしに罪を赦され、神の子とされます」。ここでは、16世紀の宗教改革が明らかにした「信仰義認」の教理と、わたしたちの教会が属する改革教会の神学で強調される「選び」の教理が告白されています。この二つ、「信仰義認」と「選び」の教理に共通している重要なポイントは、わたしたちの信仰と救いの根拠、あるいは根源、土台、出発点は、わたしたち人間の側にあるのではなく、徹底して主なる神の側にあるということです。またそれゆえに、わたしたちの信仰と救いの確かさもまた徹底して神の側にあるということです。この文章の主語は「信じる人はみな」ですが、「信仰義認」と「選び」の主語は主なる神です。そのことを今一度確認しておくことが重要です。

 わたしがいくつかの宗教の中からキリスト教を選び、主イエス・キリストを信じる決断をして信仰の道に入ったというのではなく、わたしがそう決断するよりもはるか前に、神がこの取るに足りない罪びとであるわたしを、特別な愛をもって選んでくださり、捕らえてくださって、主イエス・キリストによる救いの道へと導いてくださったのだ。これがわたしたちの信仰です。また、そうであるゆえに、わたしの信仰の確かさ、わたしの救いの確かさもまた、わたし自身の中にあるのではなく、わたしを選び、愛してくださった神の側にあるのであって、わたしの信仰も救いも主なる神によって守られ、導かれているのだということです。

 わたしはその神の選びと信仰義認とを感謝をもって信じ、受け入れることによって、神がみ子主イエス・キリストの十字架と復活でなしてくださった救いのみわざが、わたしのための救いのみわざとなるのです。宗教改革者カルヴァンの表現によれば、主イエス・キリストの救いと義がわたしに分かち与えられ、わたしに転嫁され、あたかも罪びとであるわたしの上に主イエス・キリストの義という衣が着せられるようにして、わたしの罪がおおい隠され、主キリストの義と救いにわたし全体が包まれ、おおわれるのです。ここに、わたしの救いと義の確かさがあるのです。

 神の選びと信仰義認の教理の終わりに、その最終的な結果として、「神の子とされる」と告白されています。きょうはこの告白について詳しく学んでいきます。「神の子とされる」の「される」は文法的には受動態です。この文章の主語が、前にも確認しましたように、「信じる人はみな」ですから、「その人はみな神の子とされる」と受動態で表現されているわけです。意味上の主語はもちろん神です。神が信じる人をみな「神の子」としてくださるという意味です。つまり、わたしたち人間が「神の子」とされるということです。人間が「神の子」にされる、これはどういうことを意味するのでしょうか。

 まず、「神の子」という言葉が聖書の中でどのように用いられているかをみていきましょう。旧約聖書では、イスラエルの民や王、預言者を、あるいは人間を「神の子、神の長子、神の子たち」と表現している箇所は、実は、ほとんどありません。ただ1箇所、ホセア書2章1節に「彼らは……生ける神の子らと言われるようになる」と書かれているだけです。神がイスラエルを「わたしの子、わたしの長子、わたしの子どもたち」と呼ぶ箇所は多数あります。また、イスラエルの民や王、預言者を「神の僕(しもべ)」と表現している箇所もたくさんありますが、「神の子」という表現は、注意深く避けられているように思われます。

 その理由を、今日の研究者は、旧約聖書ではイスラエルの民や人間を「神の子」と表現することによって、人間が神と同じ位置に置かれることを警戒したからではないかと考えています。というのは、そもそも最初に創造された人間アダムとエヴァが神と同じ者になろうとしたことが罪の始まりであったからです。人間が神の戒めを聞き、神に服従して生きるべきであるのに、自らが善悪の判断をし、神のようにすべてを知ろうとして、禁じられていた木の実を食べたことが、人間の最初の罪、原罪であったからです。しかし、人間は決して神ではなく、神にはなれない。そうであるのに、人間はいつでも自ら神のようになろうとし、神のごとくにふるまおうとして罪を犯す。その罪の危険と誤解とを避けるために、「神の子」という表現を用いることに消極的だったのではないかと考えられています。

 「神の子」と言う表現は避けられていますが、神ご自身がイスラエルの民を「わたしの愛する子、わたしの大切な長子」と呼びかける例は、数多くあります。最も頻繁に出てくるのは出エジプト記です。神はエジプトの地で長く奴隷の民であったイスラエルを、「わたしの子どもたち」と呼びかけ、「わたしはわたしの愛する子どもたちを、エジプトの奴隷の家から贖いだし、解放し、わたしの民とする」と言われました。イスラエルはエジプトの王ファラオのものではなく、主なる神のものであり、神が選んだ、神の宝の民とされたのです。

 ここにおいても、イスラエルの民が最初から「神の子」だったのではなく、かつては奴隷の民であり、小さな弱い民であったにもかかわらず、神がイスラエルをお選びになり、神がこの民を愛されてご自身の契約の民とされたがゆえに、イスラエルは「神の子」とされたということが強調されているのです。

 きょうの礼拝で朗読されたホセア書11章1節では、「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした」と言われています。イスラエルが「わが子」すなわち「神の子」と呼ばれるのは、神の選びと大きな愛があったからです。それによって、イスラエルは「神の子」とされたのです。

 次に、新約聖書では、信仰者、キリスト者が「神の子」と呼ばれている箇所が少なからずあります。ヨハネの手紙一3章1節を読みましょう。【1節】。わたしたち人間はみなかつては罪びとでした。罪に支配されていた罪の子たちでした。それが今や「神の子と呼ばれるほどに」されているのです。それは、何という驚きでしょうか。そう呼ばれるようになるために、何という大きな愛を父なる神から賜ったことか、それをよく考えてほしいとヨハネの手紙は訴えているのです。その神の大きな愛とは、ヨハネによる福音書3章16節のみ言葉によれば、「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と書かれているような神の愛であり、またローマの信徒への手紙8章32節によれば、「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまずに死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」と言われている神の偉大な愛のことです。その神の愛によってこそ、わたしたちは「神の子」とされたのです。

 ヨハネの手紙一4章7節以下で、この神の愛についてさらにこのように語られています。【7~10節】。この神の愛によって、わたしたちは罪の子であった者たちが「神の子」とされているのです。

7節に、「神から生まれ」とあります。ヨハネ福音書とヨハネの手紙にはキリスト者が「神から生まれた」とか「神によって生まれた」という表現が何度か用いられています。でも、この表現には注意が必要です。というのは、神から生まれた神のみ子は主イエスただお一人だからです。正確に表現すれば、キリスト者は 神の愛によって生まれた者です。キリスト教教理では神の独り子なる主イエスがただお一人神からお生まれになった神のみ子であるのと区別して、キリスト者は神の養子とされたと言い表しました。あるいは、子たる身分を授けられたと表現しました。主イエスが神のみ子であることと、わたしたち信仰者が「神の子」とされることとは全く違ったことであることを確認しておくことが重要です。

ここでわたしたちは、先に旧約聖書を学んだ際に、イスラエルの民や人間を「神の子」と言うことを慎重に避けていたことを思い起こします。ところが、新約聖書では非常に大胆にも、多くの箇所でキリスト者を神から生まれた「神の子」と表現しているのです。それはなぜなのでしょうか。その理由は、神からただお一人お生まれになった神の御独り人子、主イエス・キリストにあります。神のみ子主イエスの十字架の死と復活によって、わたしたちは罪から贖われ、「神の子」とされているからです。神の選びによって滅ぶべき罪のこの世から選び分かたれ、み子を賜うほどの大きな愛によって、神によって買い取られ、神の所有、神のものとされ、神によって新たに生まれた者とされ、「神の子」とされているのです。

新約聖書の中で、わたしたちキリスト者が神のみ子主イエスと同じ「神の子」と呼ばれていることの積極的な意味について、ヨハネの手紙一3章2節ではさらにこのように言われています。【2節】。終わりの日、神の国が完成されるときには、「神の子」とされたわたしたちがみ子主イエス・キリストに似た者とされると言われています。また、ローマの信徒への手紙8章29節にはこうあります。「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです」。わたしたちは神の国において、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」(ヨハネの黙示録21章4節)新しい国で、み子主イエスと同じ姿に変えられ、朽ちず汚れずしぼむことのない栄光の体に変えられるという約束を与えられているのです。「神の子とされる」という告白は、そのような驚くべき、偉大な神の真理と救いの恵みを言い表しているのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、罪の中にあって朽ち果てるほかになかったわたしたちを、み子の十字架の血によって罪から贖い、み子の復活によって新しい命に生きる希望をお与えくださいましたことを感謝いたします。願わくは主よ、あなたが日々に新たな命を注ぎ込んでくださり、命のみ言葉をもってわたしたちを導き、育て、訓練してくださり、終わりの日に備えさせてください。 主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月9日説教「主イエスの復活の証人となった婦人たち」

2023年4月9日(日) 秋田教会復活日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:詩編16編1~11節

    ルカによる福音書24章1~12節

説教題:「主イエスの復活の証人となった婦人たち」

 ルカによる福音書は主イエスという一人の人間の30数年の生涯を、伝記のような形式で描いています。誕生から始まり、12歳のころのエピソード、それからガリラヤ地方ナザレの家を出て、神の国の福音を宣べ伝えるためにイスラエルの各地を旅したこと、地上の最後の一週間をエルサレムで過ごし、十字架刑で死んだことへと筆が進められていきます。

 けれども、普通の伝記とは違った大きな特徴がいくつかあることに気づきます。まず、すぐに挙げることができる違いは、主イエスの伝記は彼の死のあとにも本文が続いているということです。一般の伝記は、その人の死で本文が終わり、あとは少しエピローグとして、死後のその人の影響や思い出について語られることがあります。

主イエスの場合には、死後にも復活の章と言われる、かなり長い24章が続いています。主イエスは死後に、葬られた墓から出て、復活されました。そして、多くの弟子たちに復活のお姿を現され、彼らと会話をされ、一緒に食事をもされました。これは、ほかのだれかの伝記では、決してあり得ません。

福音書のもう一つの特徴は、主イエスのご生涯はおよそ30数年でしたが、その最後の一週間についての記述が、福音書のかなりの部分を占めているということです。章で数えると、19章から24章まで、ルカ福音書全体の四分の一がエルサレムでの最後の一週間、特にその中心である十字架の死と復活のことが詳しく書かれているのです。

このことからも分かるように、主イエスの地上の30数年間のご生涯は最後の十字架の死と復活に向かっている、それを目指していると言えます。十字架の死と復活によって主イエスのご生涯は全うされる、完成されると言ってもよいでしょう。そしてさらに言うならば、そのような主イエスのご生涯のすべての歩みが、わたしたち罪びとのための歩みであり、わたしたちを罪から救い出すための歩みであり、主イエスの十字架の死と復活によって、わたしたちのための救いのみわざもまた全うされ、成就されたということを福音書は語っているのです。

そのことから分かるもう一つの特徴は、ルカ福音書は、ほかの3つの福音書の場合もすべてそうですが、主イエスの十字架と復活という事実から、その事実をもとにして、主イエスの伝記である福音書の記述が始まっているということです。極端に言えば、十字架と復活がなければ、福音書は書かれることはなかったであろうということです。主イエスの十字架の死と復活があり、その主イエスがそののちも、今日に至るまで生きておられる、ご自身の救いのみわざを続けておられる、その事実と信仰があって、福音書が書かれているのだということです。

では、「復活の章」と言われる24章のみ言葉を読んでいきましょう。【1節】。この文章の主語は、前の23章56節から続いている「婦人たち」です。『新共同訳聖書』は物語りの流れを考えて、23章56節から24章1節へと続けていますが、本質的には、というか、福音的に理解すれば、23章56節と24章1節の間には安息日という丸一日の時の経過があり、その安息日までの過去の一週間と、24章1節から始まる一週間とは、全く違った新しい時が始まるということをルカ福音書は強調しているのです。

つまり、ユダヤ教が重んじた安息日である土曜日は、この23章56節の安息日で終わった、24章1節からの週の初めの日、すなわち日曜日からは、全く新しい主イエス・キリストの復活から始まる、教会の新しい安息日である日曜日が始まるということなのです。

「初めの日」という言葉は、創世記1章1節の「初めに、神は天地を創造された」という言葉を思い起こさせます。神が天地万物と人間を創造されることによってお始めになった世界の歴史、人間の歴史が、今主イエス・キリストの復活によって新しい世界の歴史、人間の歴史として始められるのです。今聖書を読んでいるわたしたち一人一人が、この新しい歩みの中へと招き入れられているということをルカ福音書は告げているのです。

この時主イエスの墓に向かっている婦人たちは、まだそのことには気づいてはいません。彼女たちは主イエスの亡骸(なきがら)に香油を塗るために墓に行きました。ユダヤ人の習慣では、人が亡くなった場合、墓に葬る前に体に香油を塗るのですが、主イエスの場合には十字架上で息を引き取られたのが金曜日の午後3時過ぎであり、日没から安息日・土曜日になり、何の仕事もしてはならないことになっていましたから、日没前に急いでそのお体を十字架から降ろして墓に葬らなければならず、香油を塗る余裕がありませんでした。そこで、婦人たちは愛する主イエスに対する最後のご奉仕として、やり残しや最後のご奉仕をしようと、そのお体に香油を塗るために、安息日が終わってから墓へと急いだのでした。

ところが、彼女たちが墓についてみると、墓の石はすでにわきに転がしてあり、墓の中には主イエスのお体はありませんでした。【4~7節】。4節の「輝く衣を着た二人の人」とは、神から遣わされた天使たちのことです。天におられる神が地に住む人間にみ言葉をお語りになる際に、聖書ではしばしば天使の姿で現れます。したがって、5~7節は神がお語りになった神のみ言葉です。

主イエスの復活の知らせは、天の神から伝えられます。それが全能の父なる神のみわざだからです。天におられる神がご自身の永遠の救いのご計画を実行なさるために、ご自身の一人子を人の子としてこの世にお遣わしになり、その人の子なる主イエスの十字架と復活によって、わたしたちのための救いのみわざを成就されたのです。今、主イエスの復活によって空(から)にされた墓を見た婦人たちに対して、その神の救いのみ言葉が語られました。婦人たちは確かに主イエスをお納めした墓が空になっているという事実を目撃し、また主イエスは復活したという神のみ言葉を聞き、神の救いが成就したことを信じました。

神は墓を訪れた婦人たちに、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」と問いかけられました。婦人たちが主イエスの復活の知らせを信じ、神の救いのみわざの成就を信じるためには、彼女たちのこれまでの生き方や考え方が正されなければなりませんでした。彼女たちは亡くなった主イエスのお体に香油を塗るために墓にやってきました。しかし、それが死者のための奉仕であり、死に支配された世界での生き方であったことを、彼女たちは知らされます。彼女たちは死ぬべき人間のために仕えるのではなく、復活された方のために仕える者へと変えられていかなければなりません。死に支配されている朽ち果てるべき肉のパンのために生きるのではなく、復活の命に生きることへと招く神の命のみ言葉を信じて生きる者へと変えられていかなければなりません。死者に対する奉仕のために墓を訪れた婦人たちは、今や、主イエスの復活のメッセージを携えて、墓から帰って行くのです。彼女たちは全く新しい人へと造り変えられています。創世記1章で、初めに天地万物と人間とを創造された神が、今新しい週の初めの日、日曜日の朝に、主イエス・キリストの復活のメッセージを携えて、死の墓から出て、死から命へと向かう道へと急ぐ新しい人を再創造されたのです。

【8~12節】。主イエスの復活の最初の証人となった婦人たちの名前が10節に挙げられています。古代社会では一般に女性の社会的地位は高くなく、法廷での証言は取りあげられませんでした。ところが、聖書では、特にルカ福音書では女性の活躍が目立ち、重要な働きが託されている場面が多くあるのを確認することができます。しかもここでは、主イエスと長年行動を共にしていた12弟子たちと婦人たちとが対比されています。社会的地位が高く、証言能力も認められ、しかも主イエスと最も近くにいた弟子たちが、「たわ事のように思われ、信じることができなかった」のに対して、弱く、貧しく、能力のない婦人たちの方が男たちよりも先に復活の証人として選ばれ、その神のみ言葉を信じ、また主イエスの復活の証人として男たちに語り伝えているのです。

ここには、神の選びの不思議があります。神は主イエスの復活の証人という重要な役割を果たすために、社会的地位や人間的な知恵、能力を誇ることができる人をではなく、力弱く、貧しく小さな人をお用いになりました。それによって、いよいよ主イエスの復活の事実が、人間の側からではなく、神の側から、確かにされます。また、その出来事の偉大さがより強調されるのです。

婦人たちは主イエスの復活のメッセージを携えて墓から立ち去りました。このことは,象徴的な意味を持っています。これまでは、すべての人間の歩みは墓に向かっていました。死に向かっていました。けれども、主イエスの復活が起こったこの時からは、わたしたちの歩みは墓から出て、復活の命へと向かっていきます。わたしたちの罪のために十字架で死んでくださった主イエスによって、わたしたちの罪は完全に贖われ、救われています。そして、罪と死とに勝利され、復活された主イエスを信じる信仰によって、わたしたちは新しい復活の命へと向かう道へと歩みだすのです。もはや罪と死とに支配されることのない、自由と感謝と喜びをもって神と隣人とに仕えて生きる道へと歩みだすのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、わたしたちを罪と死と滅びから救い出してくださり、主イエスの復活の命に生きる道をお備えくださいましたことを心から感謝いたします。どうか、生涯を終えるまでこの道を歩ませてください。どのような困難や試練、苦しみの中でも、希望と喜びを失うことなく、復活の主イエスと共に歩ませてください。そして、終わりの日の神の国における救いの完成へとお導きください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

4月2日説教「主イエスと弟子たちとの最後の晩餐」

2023年4月2日(日) 主日礼拝(受難週)説教(駒井利則牧師)

聖 書:出エジプト記12章21~28節

    ルカによる福音書22章14~23節

説教題:「主イエスと弟子たちとの最後の晩餐」

 主イエスと12弟子たちの最後の晩餐が、ユダヤ人の最大の祭りである過ぎ越し祭の食事であったとルカによる福音書は伝えています。22章7節以下によれば、主イエスは過ぎ越しの子羊を屠るべき除酵祭の日に、弟子たちに過ぎ越しの食事の準備をするようにと命じておられます。そして、14節で「時刻になったので」とあるのは、過ぎ越しの食事を始める時刻のことで、それは出エジプト記12章などによれば、ユダヤの暦でニサンの月の14日の夕刻に子羊を屠り、日没後(ユダヤ人は日没から新しい一日が始まると考えましたから)、ニサンの月の15日が始まるのですが、家族ごとに集まって過ぎ越しの食事をするというのが習わしでした。その食事の席で、かつて神の強いみ腕によってエジプトの奴隷に家から解放され、神の民イスラエルが誕生したことを祝い、神に感謝したのでした。

 「時刻になったので」とは、その新しい一日が始まった、過ぎ越しの食事の時間が始まったという意味なのですが、このニサンの月の15日に、かつてのイスラエルの民の救いを喜び、神に感謝するその同じ日に、神のみ子主イエス・キリストが全人類を罪からお救いくださるために十字架につけられる日となり、その日に全世界のすべての人の救いが成就するであろう、そのようにして全人類の救いが成就される日、その時が今満ちたという意味をも含んでいます。それから、「イエスは食事の席に着かれた」というみ言葉は、十字架への道を進み行かれる主イエスの固い決意を表しているようにも感じられます。

 14節には、「使徒たちも一緒だった」と書かれていますが、ここで12弟子が使徒と呼ばれていることにも注目したいと思います。使徒という言葉は、一般には主イエスの復活と聖霊降臨後に教会が誕生してから、教会の宣教のために仕えるキリスト者を言う言葉ですが、それがこの最後の晩餐の場面ですでに用いられているのは、おそらくこの最後の晩餐、過ぎ越しの食事が、のちに教会の聖餐式として受け継がれていく、その継続性を強調しているからであろうと思われます。12弟子はここですでに初代教会の使徒の働きを受け継いでいるのです。

 ユダヤ人の過ぎ越し祭の食事と教会の聖餐式との連続性、継続性ということについてもう少し深く考えてみましょう。過ぎ越しの祭りの原点は出エジプト記12章に書かれているように、イスラエルの民がエジプトの奴隷の家から救い出される直前の夕食にあります。歴史的にはおそらく紀元前1300年前後のエジプト第19王朝、ラメセス二世のころであろうと推測されています。その夜の最初の過ぎ越しの食事から、イスラエルの民が荒れ野を旅した40年間にも毎年同じ日に過ぎ越しの祭りを祝い、約束の地カナンに定住してからの何百年もの間、さらにはイスラエル王国が滅亡し、民が諸国に離散したのちにも、それぞれの散らされた地で毎年過ぎ越しの食卓を囲み、主イエスの時代に至るまで、彼らは自分たちの祖先が主なる神の恵みにより、その強いみ腕によって、奴隷の家エジプトから救い出されたことを覚え、神に感謝し続けてきたのでした。過ぎ越しの祭りはイスラエル誕生の原点を祝う祭りです。神が全世界の民の中からイスラエルをお選びになり、ご自分の宝の民とされたというイスラエルの選びの原点、イスラエルの存在と命の原点、神の恵みと救いの原点を祝う祭りであったのです。

わたしたちの教会の聖餐式もまた同じような意味を持っています。同じようなと言うよりも、聖餐式は過ぎ越し祭の食事に新しい意味を加え、イスラエルの過ぎ越し祭の成就、完成であると言うのが正しいでしょう。福音書で主イエスが弟子たちと共に祝った過ぎ越しの食事は、ユダヤ人の過ぎ越しの食事の最後となりました。また、キリスト教会の新しい意味を持った聖餐式の最初となるのです。神がイスラエルの民をお選びになって始められた救いのみわざが、今主イエス・キリストによって全世界のすべての人のための救いのみわざとして成就し、その最終目標に達するのです。

ルカ福音書に書かれている過ぎ越しの食事は(これは共観福音書と言われるマタイ、マルコ、ルカの三つの福音書にほぼ共通していますが)、当時のユダヤ人の家庭で行われていた慣習に沿っているのですが、主イエスはそれに全く新しい意味と内容を付け加えています。出エジプト記12章などで定められている過ぎ越しの食事の進め方と比較しながら見ていくことにしましょう。

まず、15、16節で主イエスはこう言われます。【15~16節】。ユダヤ人の家庭ではその家の長、ふつうは父親ですが、過ぎ越しの食事の進行役を務めます。ここでは、主イエスが弟子たちの主人として、進行役を務めておられます。しかし、主イエスはただ進行役を務めておられるのではありません。実は、主イエスご自身がこの新しい過ぎ越しの食事、すなわち聖餐式の主人公として働いておられるのだということが分ります。15節でも16節でも、「わたし」すなわち主イエスが主語です。17節以下で、主イエスが新しい過ぎ越しの食事の意味を、すなわち聖餐式の意味を説明される文章でも、すべては主イエスが主語として語られており、主イエスが今なさる救いのみわざについて語っておられるということを第一に確認しておきましょう。神がイスラエルの民をお用いになって始められた救いのみわざを主イエス・キリストが今成就されるのです。

ユダヤ人の家庭では家長が過ぎ越し祭の食事の意味を家族と子どもたちに説明します。家長は言います。「かつて、神が自分たちの先祖をエジプトの奴隷の家から導き出された時、子羊の血を家の鴨井と門に塗ることによって、夜に滅ぼす者が来て、エジプトのすべての家の長男と家畜の初子とを撃つけれども、子羊の血が塗られたイスラエルの民の家の前は通り過ぎて行って、あなたがたの家には災いが及ぶことはない。その間に、あなたがたはエジプトを脱出しなさいと神は言われました。神はイスラエルの民を子羊の血によって贖ってくださり、エジプトの奴隷の家から救い出してくださったのです。その神の救いの恵みをいつまでも忘れないために、我が家でもこのようにして過ぎ越しの食事を共にしているのです」と説明します。

ところが、15、16節の主イエスの説明は全く違っています。15節の「苦しみを受ける前に」とは、主イエスがこれまでに何度も弟子たちに語られた主イエスの受難予告を思い起こさせます。主イエスはご自分がエルサレムで長老・祭司長たちによって殺され、三日目に復活されることを弟子たちに告げておられましたが、今やその時が来たのだと言われます。そして、迫りくるご自身の死と過ぎ越しの食事とを結び付けておられます。これによって、これから弟子たちと祝う過ぎ越しの食事に全く新しい意味が付け加えられたのです。

その新しい意味を三つにまとめてみましょう。一つには、主イエスは二度と過ぎ越しの食事をすることはないということ。すなわち、これが主イエスにとっての最後の過ぎ越しの食事になるということ、つまりは主イエスは地上から取り去られ、死ぬのだということがここでは語られているのです。主イエスの十字架の死の時が迫っているのです。弟子たちはまだだれもそのことに気づいてはいませんでしたが、主イエスははっきりとそのことを自覚しておられました。

二つ目は、イスラエルの民の出エジプトの救いの恵みを祝う過ぎ越しの食事はこれが最後になるということ。これからは、新しい神の民である教会によって、全世界のすべての人を罪から救う聖餐の食卓が始まるであろうということです。

三つ目には、終わりの日に神の国が完成されるとき、過ぎ越し祭で祝われてきた神の救いの恵みが最後の完成を見るであろうということ。かつて、イスラエルの民がエジプトの奴隷の家から解放され、救われたことを祝う過ぎ越しの食事が、神の国が完成される日には、完全な形で成就され、その最終目的に達するのだ。すなわち、全世界のすべての人々が罪と死から解放され、罪ゆるされ、朽ちることのない永遠の命が与えられていることを喜び祝う神の国での大宴会、大祝宴が開かれる。教会の聖餐式はその時まで、その時を目指して続けられるであろうということです。

主イエスはご自分の死を自覚しておられますが、しかしこの場面には、悲しみも悲惨な様子も悲壮感も全くなく、むしろ希望と喜びに満ちています。主イエスはご自身の死をはるかに超えて、父なる神が定めておられるこの最後の目標にしっかりと目を据えておれら、その道を進んでおられます。

では次に、17~20節を読みましょう。【17~20節】。この場面の主イエスのみ言葉は、パウロがコリントの信徒への手紙一11章23節以下で、正しい聖餐式の執行を教えておられる箇所(これが今日のわたしたちの教会の聖餐式の制定語として読まれる箇所ですが)、それとほとんど一致します

旧約聖書の過ぎ越しの食卓では、家長である父親が子羊を屠ることとその血を塗ることの意味を語った後、苦菜を食べるのはエジプトでの苦しみを忘れないため、酵母が入っていない固いパンを食べるのは夜の間に急いでエジプトを出たので酵母を仕込む余裕がなかったから、などと説明するのですが、この日の主イエスの説明はそれとは全く違っています。

パンは「あなたがたのために与えられるわたしの体である」と言われ、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」と言われました。これは主イエスの十字架の死を言い表しています。主イエスが十字架上で裂かれた肉と流された血によって、ユダヤ人の過ぎ越しの祭りは全く新しい意味を与えられました。もはや、エジプトでのイスラエルの民の苦しみを象徴する苦菜を食べるのではなく、神のみ子ご自身がわたしたちの罪のために苦難の道を歩まれ、十字架の死を忍んでくださったのです。

また、もはや子羊の肉と血という、いわば代用品ではなく、罪なく、汚れなく、聖なる神のみ子のお体がささげられ、その血が注がれることによって、全人類の、すべての罪びとの贖いが完全に、永遠に成し遂げられたのです。それによって、主イエスを救い主と信じる人はみな、新しい神の民とされ、神の国での朽ちることのない永遠の命を約束されているのです。聖餐式はそのことの目に見える確かなしるしであり、またその恵みの保証であり、確証なのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたはわたしたちの救いのためにみ子をご受難と十字架の道へとお導きになられました。わたしたちがまだ自分の罪に気付かず、罪と戦うこともしていなかったときに、み子はわたしたちを罪から救うために苦しまれ、裁かれ、血のような汗を滴らせながら祈られ、そして、十字架におつきになられました。どうか、この受難週をみ子のお苦しみと十字架による救いの恵みとを覚えて過ごすことができますように、お導きください。

〇主なる神よ、どうかこの世界があなたから離れて滅びへと向かうことがありませんように、あなたの義と真実によって支え、導いてください。

主イエス-キリストのみ名によって。アーメン。

3月26日説教「教会の迫害者から福音の宣教者に変えられたパウロ」

2023年3月26日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:イザヤ書6章1~8節

    使徒言行録9章10~22節

説教題:「教会の迫害者から福音の宣教者に変えられたパウロ」

 キリスト教会の熱心な迫害者であったサウロ、すなわちパウロは、キリスト者に対する脅迫と殺害の息を弾ませながら、エルサレムから北へ250キロメートルも離れたダマスコへと道を急ぎ、町の門の近くまで来たときに、突然に天からの強烈な光に照らされて、地に倒れました。そのとき、彼は復活された主イエスのみ声を聞きました。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」(使徒言行録9章4、5節参照)。これが、迫害者パウロと復活の主イエスとの最初の出会いでした。

 この出会いは、ある日突然に、だれも全く予期しないときに、パウロ自身にとってはもちろん、彼を知る彼の周辺の人々にとっても、また使徒言行録を読み進んできたわたしたちにとっても、全く予期しなかったときに、全く予期しないかたちで、起こりました。パウロ自身の中には全く心の準備がなく、もちろん信仰を求める求道心があったわけではなく、いやむしろ反対に、キリスト教に対して敵対心を抱いていたときに、彼の意志に反して、天からの強力な光によって、復活された主イエス・キリストの一方的な選びのみ心によって、この出会いが起こったのです。

 パウロは地に倒され、目が見えなくされ、だれかに手を引いてもらわなければ、自分では歩けない状態でした。パウロはここでは全く受け身であり、彼の意志や手足はすべて縛られ、束縛されており、ただ復活された主イエスだけが行動しておられるということに気づかされます。ここに、パウロの回心と一般に言われる主イエスとの最初の出会いの出来事の中心的な意味が暗示されているように思われます。これまでのパウロ、キリスト教会を迫害し、主イエス・キリストの福音に敵対していたパウロが地に倒されて死に、これまでユダヤ教の律法を基準にして生きてきた古いパウロが死に、今新たにパウロを捕らえた復活の主イエスの力と恵みによって立ち上がり、主イエスの福音の命によって生きていくパウロの歩みが、ここから始められようとしているのです。

 9節に、「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」と書かれていますが、この三日間は、これまでのユダヤ教徒・ファリサイ派のパウロ、律法によって生きてきたパウロの過去の一切が葬り去られ、彼が全く新しくされて、主イエス・キリストの復活の命によみがえらされるための準備の期間だったと言えます。11節には、「今、彼は祈っている」と書かれています。パウロがこの三日間を断食と祈りで過ごしていたことが分かります。断食と祈りは、人間が自分の意志や欲望また行動を中止して、ただ神だけが行動され、神がみわざをなさるために人間が待機する行為です。断食と祈りによって、神から与えられる新しい使命に備えるという例は聖書の中にしばしば描かれています。のちに、パウロとバルナバがアンティオキア教会から第一回世界伝道旅行に派遣されるときにも、教会全体で断食と祈りをしたことが13章3節に書かれています。パウロは断食と祈りによって、神から与えられる新しい福音宣教の使命に就くための準備をしていたのです。

復活の主イエスは目が見えなくなったパウロの目を再び開くために、そして教会の迫害者であったパウロに新しい使命を授けるために、ダマスコにいたアナニアという弟子をお用いになりました。【10~12節】。アナニアは弟子と言われていますから、ダマスコに住んでいてすでにキリスト者となっていました。ということは、彼はパウロの迫害の対象者であったということになります。もしかしたら、パウロによって捕らえられ、エルサレムに連れていかれて死刑にされていたかもしれないアナニアが、今パウロが再び見えるようになり、のちに偉大なキリスト教会の宣教者とされていくための奉仕者として用いられるという、全く不思議な神の奇跡のみわざがここで起こっているのです。

10節からの文章で「主」と書かれているのは復活された主イエス・キリストのことです。「幻の中で」とは、アナニアが眠っているときに夢で見たのか、それとも起きているときの何らかの体験なのかははっきりしませんが、12節では目が見えないパウロもまた祈っているときに「幻で見た」と言われているように、アナニアとパウロは幻の中で同じことを見ていたことになります。すべてのことは復活された主イエスがなさるみわざです。パウロの回心と一般に言われているこの場面では、最初から最後まで、すべては復活の主イエスが行動しておられます。これがパウロの回心の中心的な内容であり、意味なのです。こののち、彼が福音宣教の使徒として生きていく彼の生涯においても、すべては復活の主イエスが彼の中にあってお働きくださるのです。「生きているのは、もはやわたしではない。主キリストはわたしのうちにあって生きておられるのだ」と彼が告白しているとおりです(ガラテヤの信徒への手紙2章20節参照)。

けれども、アナニアにとっては復活の主イエスのご計画は直ちには信じがたいことでした。【13~14節】。アナニアはパウロの迫害のことについてすでに他のキリスト者仲間から聞いていました。パウロがキリスト教会にとっていかに危険な人物であり、恐ろしい敵であるかをよく知っていました。そのような人物のために自分が何らかの手助けをしなければならないということは、アナニアには信じがたいことであったのは当然です。

けれども、復活の主イエスのご計画はアナニアの考えや彼の恐れと心配をはるかに超えていました。【15~16節】。ここには、復活の主イエスとパウロの出会いの出来事、パウロの回心と言われる経験の、中心的な三つの意味が語られています。一つは、パウロが復活の主イエスと出会ったのは主イエスの選びによるということ。第二には、主イエスはひとたび地に倒れて死んだパウロに新しい務めをお授けになるということ。第三に、その新しい務めにおいて、キリスト教会の迫害者であったパウロが、これからは自らが迫害を受ける側になるであろうということ。

第一の点について、少し詳しく見ていきましょう。15節の終わりで、主イエスは、「わたしが選んだ器である」と言われました。主イエスご自身が迫害者パウロを福音宣教者パウロとして選ばれ、その務めへと召されたのです。しかし、ここにはなぜパウロが選ばれたのかについては全く言われていません。なぜ迫害者パウロなのか、そのことをわたしたちはぜひとも知りたいのですが、何も説明されていません。選ばれたパウロの側の条件とか資格とかには全く関係なく、主イエスご自身の自由な選びなのです。主イエスはその自由な選びによって、無から有を呼び出だすように、というよりは、マイナスから無限のプラスを生み出すようにして、信仰者をお選びになるのです。それゆえに、選ばれた側には、何ら誇るべき理由はなく、ただ恐れと感謝とをもって、主イエスの選びを受け入れることができるだけです。のちにパウロはコリントの信徒への手紙二15章8節以下でこう言っています。「そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打のない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりもずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実にわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」。

第二に、復活の主イエスと出会い、回心を体験したパウロは、主イエスから与えられた新しい務め、使命に生きるということです。「異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたし(主イエス)の名を伝える」、これがパウロの新しい使命です。彼がこれまで必死になって地上から消し去ろうとした主イエスのみ名を、これからのちは彼の全存在をかけて、命をかけて、すべての人に宣べ伝えるのです。この主イエスこそが、全世界の、すべての人の唯一の救い主であることを宣教するのです。

パウロの宣教の対象として「異邦人」がまず挙げられています。パウロは異邦人の使徒であることを強く意識していました。エルサレム教会を中心にしてユダヤ人の救いのために仕えていたペトロ、ヤコブなどの先輩の使徒たちを尊敬していましたし、彼自身もまた、先に神に選ばれた同胞の民イスラエルの救いのために熱心に働きましたが、彼らのかたくなさのゆえに、彼の宣教の対象は異邦人へと、広げられていったのでした。その使命を果たすために、パウロはのちに3回にわたって世界伝道旅行にでかけます。

次に「王たち」が挙げられます。この世の支配者たちに、すべての人が従うべき全世界の唯一の主は、イエス・キリストであることを説教します。当時世界を支配していたローマ皇帝の前でも、皇帝が主であるのではない、すべての罪びとのために十字架で死なれ、三日目に復活された主イエス・キリストこそがまことの主であると告白することがパウロの新しい使命です。

第三は、これまでは教会の迫害者であったパウロが、これからは自らが苦しみを経験し、迫害を受けるようになるであろうということです。この主イエスの予告はすぐにも実現します。23節以下に、パウロがユダヤ人から命をねらわれたことが書かれています。使徒言行録でこれから描かれるパウロの生涯は、主イエスのための労苦の連続です。コリントの信徒への手紙二11章23節以下では彼が経験した迫害について詳しく書いています。ユダヤ人から何度もむち打ちの刑に処せられたこと、石を投げつけられたこと、船で遭難して死にかけたこと、旅の途中で盗賊にあったこと、幾夜も眠られない夜を過ごし、時に飢え渇き、教会や信者のために祈り、労苦したこと、数え挙げればきりがありません。しかも、パウロは主イエスのために経験しなければならなかったこれらのすべての迫害と労苦を喜んで耐え忍び、それによって主イエスのみ名があがめられることだけを願ったのです。

アナニアは主イエスに命じられたとおりに、パウロが滞在していたユダの家に行き、パウロの上に手を置き、主イエスに命じられたままに、自分が遣わされた理由を語りました。すると、主イエスが言われたように、パウロの目が開かれ再び見えるようになりました。そして、パウロは洗礼を受けました。ここでも、行動しておられるのは主イエスご自身です。主イエスはご自身の救いのみわざを前進させるために、アナニアをお用いになり、使徒パウロをお用いになるのです。アナニアはここではその僕として仕えています。

「手を置いた」と書かれているのは按手のことです。按手は信仰者を新しい職務につかせるため、また天の神から聖霊の賜物を授けるしるしとして行われます。その時、パウロの「目からうろこのようなものが落ちた」と書かれています。パウロはこれまでは、ユダヤ教の律法を基準にして世界を見、自分を見ていました。律法の中に救いを見いだそうとしてきました。しかし、今再び目を開かれたパウロは、主イエス・キリストの福音を基準にして世界を見、自分を見るようにされたのです。主イエス・キリストの福音にこそ、自分が生きるべき目的、目標があり、基準があり、喜びがあり、希望があり、救いがあることを知らされ、主イエス・キリストと聖霊なる神がパウロの新しい生きる主体となったのです。主イエス・キリストと聖霊なる神が、彼の信仰の道のすべてを、彼の試練と苦難の道をも、彼の使徒としての働きと労苦の道をも、終わりの完成へとお導きくださるのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたは教会の迫害者であったパウロを、主キリストの福音の宣教者としてくださいました。主なる神よ、あなたはまたいと小さな者であり、破れと欠けに満ちているわたしたち一人ひとりをもとらえてくださり、教会の民の中にお加えくださり、あなたの働き人としてお用いくださいます。どうかわたしたちにも聖霊の賜物を豊かに注いでください。喜んであなたと隣人とに仕える僕としてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

3月19日説教「パン五つと魚二匹で五千人を養われた主イエス」

2023年3月19日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:申命記8章1~10節

    ルカによる福音書9章10~17節

説教題:「パン五つと魚二匹で五千人を養われた主イエス」

 

 福音書の中には主イエスがなさった奇跡のみわざが数多く記されています。奇跡は、主イエスが神のみ子であり、神の全能のみ力によって自然や被造物を支配しておられることの目に見えるしるしです。主イエスがわずかなパンと魚で多くの群衆を養われ、彼らが満腹し、残ったパンのくずを集めるといくつものかごがいっぱいなったという奇跡は、主イエスの奇跡の中でも特殊な性格を持っています。この奇跡は共観福音書と言われるマタイ、マルコ、ルカ福音書に共通しているとともに、ヨハネ福音書にも記録されています。4つの福音書すべてに書かれている奇跡はこのパンの奇跡だけです。

それだけでなく、五つのパンと二匹の魚で五千人を養ったという奇跡が4つの福音書に共通しているだけでなく、マタイとマルコ福音書には他に、七つのパンと小さな魚わずかで四千人を養ったという奇跡があります。ということは、似たようなパンの奇跡が4つの福音書に2種類、計6つあることになります。主イエスと弟子たちにとって、また初代教会にとってこのパンの奇跡がいかに印象的深い出来事であり、また大きな信仰的意味を持つ奇跡であったかということが推測できます。

主イエスのパンの奇跡を正しく、また深く理解するために、旧約聖書に記されている同じような奇跡をいくつか取り上げてみたいと思います。一つは、イスラエルの民がエジプトの奴隷の家から救い出されたのち、荒れ野を旅した40年期間、天からの不思議な食べ物マナによって養われたという奇跡です。出エジプト記16章にマナの奇跡について詳しく書かれています。何万人もの人が、40年もの長い年月、何もない荒れ野で、天から不思議な食べ物マナによって養われ、だれも飢えることなく、神の約束の地カナンに着いたという出来事は、エジプト脱出の奇跡と紅海の水が二つに割れて無事に渡ることができたという奇跡に続く、驚くべき奇跡でした。

また、紀元前9世紀の預言者エリシャが、飢饉のときに、大麦のパン20個で100人の人を養って食べさせ、なおも食べきれずに残りがあったと、列王記下4章42節以下に書かれています。似たような奇跡は旧約聖書の中にほかにも記されています。

これらの旧約聖書に記されているパンの奇跡も、主イエスによるパンの奇跡も、わたしたちはこれを科学的・合理的に理解したり、説明したりすることはできませんし、すべきでもありません。どのようにして、わずかなパンで何千人もの人が食べて満腹させることができたのか、また、何万人もの人が40年間も荒れ野でどうやって食べ物を手に入れることができたのか。これはわたしたち人間の知恵や知識では理解できません。それは神の奇跡であり、そこには不思議な神の力が、神の大きな恵みがあったのだと言うほかありません。わたしたちはこれらの奇跡を信仰をもって読まなければなりません。神はこれらの奇跡でわたしたちの信仰を求めておられるのです。わたしたちはこれらの奇跡から、わたしたちの造り主であり、救い主であり、わたしたちの魂と肉体の全体を養い育ててくださる生ける神、命の主なる神との出会いを経験することが求められているのです。

もう一つ、主イエスのパンの奇跡を読む際に注意すべき点は、主イエスは人間の腹を満たすためだけにパンを増やされたのでないということです。すでに4章に書かれていたように、主イエスは悪魔によるパンの誘惑に対して勝利しておられます。悪魔は、「石をパンに変えよ」と誘惑しますが、主イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになりました。わたしたちはパンを食べ、おなかを満たすことによって本当に生きた人間になるのではなく、神の口から出る一つ一つのみ言葉を聞き、それを信じることによってこそ生きるのだということを、主イエスは教えておられます。主イエスは地上の食糧問題や飢餓問題を解決する王としてこの世においでになったのではなく、神の命のみ言葉によって生きる神の国の王としておいでになられたのです。

ではまず、10~11節を読みましょう。【10~11節】。9章の冒頭で主イエスによって宣教のために派遣された弟子たちが帰ってきて、主イエスに報告します。弟子たちは主イエスによってこの世から呼び集められました。そして、この世へと派遣されます。再び、主イエスのもとに呼び集められます。このように、招集、派遣、そして再び招集、派遣、これが繰り返されていくのが教会の民です。わたしたちは主の日ごとに主イエスによって教会の礼拝に呼び集められます。主イエスに一週間の信仰の歩みを報告します。自分のみすぼらしい破れだらけの歩みを主イエスのみ前にさらけ出し、悔い改め、罪のゆるしのみ言葉を聞き、新たな力を与えられて、礼拝からこの世へと再び派遣されていきます。わたしたちはこれを繰り返しながら、神の国の完成を待ち望んでいるのです。

主イエスが弟子たちとガリラヤ湖の東側のベトサイダの町に退かれたのが何のためであったのかはここには書かれていません。おそらく、祈るため、あるいは休息するためであったと思われます。でも、群衆があとについてきたために、主イエスは彼らを迎え入れ、神の国の福音を説教されました。58節に書かれているように、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と主イエスは言われました。主イエスは救いを必要としている人がいる所では、昼も夜も休みなく働かれます。弟子たちも同様です。

このあとで行われるパンの奇跡が、主イエスの神の国の説教に続いていることに注目したいと思います。主イエスの到来とともに神の国が始まっています。神の愛と恵みのご支配、救いの時が始まっています。主イエスは神の国の王であられます。信じる人たちを神の国にお招きになります。その来るべき神の国の王として、神の国での永遠の命をお与えくださる王として、主イエスはパンの奇跡を行われるのです。

【12節】。群衆は時がたつのも忘れるほどに熱心に主イエスの説教に聞き入っていたのだと思われます。「人里離れた場所」とはだれも住んでいない寂しいところ、荒れ野を意味します。先ほど紹介したイスラエルの民の荒れ野の旅を思い起こさせます。そこには、人間が生存するために必要なものが何もありません。

そこで、弟子たちは群衆を解散させることを提案します。群衆は長い時間、主イエスのあとについてきました。このままでは疲労と空腹で倒れてしまうかもしれません。めいめいが自分で食べ物を手に入れ、また休息できる場所を探すのがよいと弟子たちは考えました。弟子たちのこの考えは群衆に気をつかった、彼らのための提案のように思われました。それが現実的な解決策のように思われました。けれども、主イエスは弟子たちのこの提案を拒否なさいました。

【13節a】。主イエスは群集を解散させることをお許しにはなりませんでした。弟子たちが彼らの手で群衆に食べ物を与えるようにとお命じになりました。わたしたちはここで二つのことに気づかされます。一つは、空腹や疲労といった人間の肉体的な欲求を満たすために、弟子たちが勝手に主イエスのみ前から群衆を解散することは主イエスのみ心ではないということです。主イエスのみ前に集められた群れは主イエスのご支配のもとにあります。だれかがこれを勝手に動かすことはできません。主イエスのご支配のもとにある群れは主ご自身がその肉体もその魂をも支え、配慮してくださるのだということです。主イエスのもとで、神の国の福音を聞き、それによって魂の救いと平安を得るけれども、肉体の飢えや疲れをいやすのは別の場所で別の方法で行わなければならないというのではなく、魂も肉体も含めわたしの全体が主イエスによって神の国へと招き入れられているのだということです。それゆえに、群集がパンを得るために主イエスのみ前から解散させられることを、主はお許しにならなかったのです。

もう一つの点は、ここで弟子たちは自分たちの責任を放棄することなく、群集のためになすべき奉仕をなすように求められているということです。弟子たちは現実的な解決策を提案したつもりでしたが、それは主イエスの弟子として、この世に遣わされている使徒としての責任を放棄することになるのです。弟子たちは主イエスと共に、神の国の福音のために奉仕する責任と務めとを与えられているのです、またそうする権能と賜物とを与えられているのです。

ところが、弟子たちはそのことを理解していませんでした。彼らは自分たちの貧しさを嘆いています。【13節b】。パン五つとと魚二匹は主イエスと12弟子一行の一食分だったと思われます。それだけで何千人もの群衆を養うことなどできるはずがないと彼らは言います。自分たちの限界や無力さを嘆くほかにありません。けれどもそれは、自分にはこれだけしかない、これしかできないと言って、自分たちが持っているものを自分たちの手の中で握りしめていることになるのだということを、彼らはやがて知らされます。自分にある能力や財力、時間、体力、それらを自分だけのものにして、自分の手の中にしっかりと握りしめて、手放そうとしない。そこには、奇跡は起こらないのです。神から与えられている恵みの賜物に気づかず、それに感謝しない、それを自分の手に握りしめ、神と隣人のために手放そうとしない、それどころか自分だけのためにもっと欲しがる。そこには神の奇跡は起こりません。

しかし、主イエスがそれを感謝し、祝福し、弟子たちに渡して群衆に配らせたときに、奇跡が起こりました。【16~17節】。弟子たちが不足を嘆き、自分たちの手の中に握りしめていたものを、主イエスは群衆のためにお用いになります。主イエスはそれを手に取り、それを感謝し、祝福され、それを弟子たちに配らせ、群衆がそれを食べました。その時、奇跡が起こりました。弟子たちは主イエスの奉仕者として群衆のために仕えました。その時、奇跡が起こりました。五千人以上もの群衆がみな満腹し、食べ残ったパンの屑が12のかごにいっぱいになったと書かれています。主イエスによって分かち与えられた恵みの豊かさ、大きさが強調されています。

この場面には、のちの教会によって受け継がれてきた聖餐式との共通性が指摘されています。16節の、「主イエスが取る」「賛美の祈りを唱える」「裂く」「弟子たちに渡す」、これらの動作は22章19節の主イエスと弟子たちの最後の晩餐の場面、また、使徒パウロが聖餐式の伝承として伝えているコリントの信徒への手紙一11章23、24節の聖餐式の制定語の動作ともほぼ一致しています。初代の教会は主イエスのパンの奇跡に聖餐式の原型を見ました。主イエスが十字架でご自身の神のみ子としての聖なる罪のないお体と、清く尊い御血とをおささげくださったことにより、わたしたちすべての罪びとの魂と体とを完全に罪と滅びから贖ってくださったことを、聖餐式によってしるしづけ、確かにしたのです。それによって、主イエスがわたしたちの魂と体を永遠にいのちのパンで養ってくださり、来るべきみ国での永遠の命の約束を確信したのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、わたしたちが朽ちるパンによってではなく、命のパンであるあなたのみ言葉を信じて生きる者とされますように。

〇主なる神よ、あなたはわたしたちの魂の救い主であられるだけでなく、わたしたちの体の贖い主でもあられます、わたしたちのすべてはあなたのものです。わたしの魂のすべてと、わたしの体のすべてとをささげて、あなたのご栄光のために、隣人の益のために、用いる者となりますように。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

3月12日説教「ラケルの死とイサクの死」

2023年3月12日(日) 秋田教会主日礼拝説教(駒井利則牧師)

聖 書:創世記35章16~28節

    マタイによる福音書22章23~33節

説教題:「ラケルの死とイサクの死」

 創世記12章から始まったアブラハム、イサク、ヤコブという3世代にわたる族長の信仰の歩みについて学んできました。族長時代は紀元前18世紀ころから16世紀にかけて、まだイスラエルの民が形成される前ですが、彼ら族長の信仰の歩みの中に、神に選ばれたイスラエルの民の信仰とのちの教会の民の信仰が、すでに生き生きと語られていることをわたしたちは学んできました。それは、言うまでもないことですが、族長たちとイスラエルの民、そして教会の民を導かれたのが同じ主なる神であるからにほかなりません。主なる神は創世記1章の天地創造のみわざから始まるすべての救いの歴史を大きな恵みと愛とをもって導いておられます。神の永遠なる救いのご計画が天地創造の初めから、族長時代とイスラエルの時代を経て、わたしたち教会の民へと受け継がれ、終わりの日の神の国が完成される時まで継続されるのです。わたしたち一人一人はその永遠なる神の救いのご計画の中に招き入れられているのです。

 きょうの礼拝で朗読された箇所では、ヤコブの妻ラケルの死とヤコブの父イサクの死のことが書かれています。そこできょうは、この二人の死によって、神の永遠なる救いの歴史がどのように継続されていったのかに焦点を当てて学んでいくことにします。

 16節からラケルの死について書かれています。ラケルはヤコブの最愛の妻でした。ヤコブは兄エサウから長男の特権をだまし取ったことで命をねらわれ、カナンの地から遠く1000キロメートルも離れたパダン・アラムのハランの地へと逃れ、伯父ラバンのもとに身を寄せることになりました。ヤコブはラバンの家で彼の娘ラケルを愛し、彼女を妻にするために7年間ラバンの家で働きましたが、ラバンにだまされてもう7年間、さらに6年間、計20年間も、ヤコブはラバンの家で愛するラケルのために一生懸命に働きました。

ところが、ラケルにはなかなか子どもが与えられませんでした。ヤコブは愛する妻ラケルに子どもが授かることを願いましたが、神は人間的な知恵を誇り傲慢であったヤコブを訓練するために、さまざまな労苦や試練を彼にお与えになりました。ヤコブは自分の思いどおりに事がなるのではなく、神のみ心が行われる時を待つべきであることを学ばなければなりません。

そしてようやく、神がラケルを顧みられたときに、彼女に男の子が与えられました。30章24節に書かれていたように、ラケルはその時、「主がわたしにもう一人男の子を加えてくださいますように」と願って、その子の名をヨセフと名付けました。きょうの箇所に書かれている、あとでベニヤミンと名付けられる男の子は二人目になります。神は今またラケルの願いを聞かれ、彼女に二人目の男の子をお授けになります。

ところが、今回は難産であったと16節に書かれています。ベテルから南のエフラタに向かう途中で、ラケルは苦しみながら出産をします。18節にこう書かれています。【18節】。ラケルは出産の苦しみの中で、死の間際に最後の力を振り絞って、生まれてきた子を「ベン・オニ(わたしの苦しみの子)」と名付けました。ここには、ラケルのこれまでの生涯と今、死を目の前にしている彼女の苦悩のすべてが表現されているように思われます。

聖書にはラケル自身の心の動きについてはほとんど記されてはいませんが、この最期の時に発した一言から、わたしたちはいくつかのことを推測することができます。ラケルは夫ヤコブから熱烈に愛されましたが、彼女はその愛を独り占めにはできませんでした。父ラバンは自分の代わりに姉のレアを先にヤコブの妻として嫁がせました。ヤコブはレアよりもラケルの方を愛しましたが、姉のレアには次々と子どもが生まれたのに、ラケルとの間には長く子どもが与えられませんでした。そのことで、ラケルと姉レアの間にはねたみや葛藤が生じました。夫ヤコブとの間にも亀裂が生じたこともありました。

ヤコブとレアとの間には6人も子どもが与えられたのに、ラケルにはようやくにして一人ヨセフが授かっただけでした。夫の愛をより多く受けていたのに、子どもの数においては姉の方がはるかにまさりました。だれにも訴えることができないラケルの苦悩や闘いの日々を、わたしたちは推測することができます。

そして今、ラケルのもう一つのささやかな願いがかなえられようとするこの時に、彼女は出産の苦しみの中、最後の息を引き取ろうとしているのです。それはどんなにか無念であり、苦しみ、悲しみであることでしょうか。愛する夫と別れなければなりません。ようやくにして生まれた子どもの成長を一日も見ることができないのです。彼女が生まれた子の名を「わたしの苦しみの子」と名付けなればならなかったその思いを、わたしたちは十分すぎるほどに理解できるのではないでしょうか。

しかしながら、ここでヤコブが登場します。「いや、この子の名はベン・オニ(わたしの苦しみの子)ではなく、ベニヤミン(幸いの子)である」と宣言します。ヤコブはここで、あたかも主なる神の代弁者であるかのように、妻ラケルのこれまでの生涯と、生まれた子ベニヤミンのこれからの生涯とが、苦しみではなく、幸いであることを宣言しているように思われます。

確かに、ヤコブが妻ラケルに対して注いだ大きな愛の報いは、人間の目には少ないように見えるかもしれません。ヤコブ自身にとってもそれはどんなにか無念であったことでしょう。けれども、主なる神のラケルに対する愛は全く欠けるところがなかったとヤコブはここで告白しているのです。母の死の苦しみの代償として生まれた子ベニヤミンもまた「幸いな子」として、神に選ばれるイスラエルの民の12部族の一つとなるのです。

ラケルの苦しみと悲しみに満ちた死をわたしたちはここで見るのですが、しかし同時に、その苦しみと悲しみとを超えて、否、人間のすべての苦しみと悲しみとを幸いへと変えてくださる神の永遠の救いのご計画を、わたしたちはここで見ることができるのです。信仰者の歩みは悲しい死をもって終わるのではありません。悲しみを希望へと変えてくださる主イエス・キリストの復活の光の中へ、わたしたちは招き入れられているのです。

23節から、ヤコブ・イスラエルの12人の子どもたち、すなわち、のちにイスラエル12部族を形成する子どもたちの名前が記されています。姉のレアに生まれた子が長男ルベンからゼブルンまでの6人。妹ラケルに生まれた子がヨセフとベニヤミンの二人、ラケルの召し使いビルハに生まれた子が二人、レアの召し使いジルバに生まれた子が二人です。26節には「これらがパダン・アラムで生まれたヤコブの息子たちである」と書かれていますが、正確にはベニヤミンだけはカナンに帰ってきてから生まれた子ということになります。

この12人の子どもたちの中で、ラケルの子ヨセフが37章以下のエジプト行きと、その後に家族全員がエジプトへ移住する物語の新しい主人公となります。

36章には、ヤコブの兄エサウの子孫について描かれています。エサウは軽はずみに長男の権利を弟ヤコブに譲ってしまったために、神の選びの民からはずれ、エドム人の祖先になったことが書かれています。

35章27節からは、きょう注目するもう一つの人間の死、族長イサクの死について短く描かれています。【27~29節】。ヤコブの父であるイサクについては、28章でヤコブをパダン・アラムのラバンのところに送りだした姿が最後で、それ以後は登場していません。27節にあるように、ヤコブはエルサレムの南ヘブロンで20数年ぶりに父と再会することになります。でも、その父と子の久しぶりの再会のことについては何も書かれていません。ただ、父の死とその葬りのための再会であったかのようです。

では、イサクの180年の生涯はどうであったのかを簡単に振り返ってみましょう。彼は少年のころ、父アブラハムによって燔祭の薪の上に横たえられました。彼が60歳の時に妻リベカとの間に生まれた双子の子エサウとヤコブが成長してからは、長男の特権をめぐっての彼らの争いに巻き込まれ、年老いて目がかすんでいた父イサクは妻リベカとヤコブの共謀によってだまされ、間違って弟のヤコブを祝福してしまいました。そして、最終的にはヤコブを遠くの地へと送り出さなければなりませんでした。イサクの生涯は、3人の族長の中では、どちらかと言えば消極的な生き方で、周囲によって強い影響を受け、自分では決断しない生き方であったと言えるのかもしれません。

でも、イサクの生涯を満たすのは彼自身ではありません。彼の生涯の功績とか、彼の指導力や行動力ではありません。主なる神が彼の生涯を満たし、彼の180年のすべての日々を導き、祝福し、彼の失敗をも成功をもすべて神の救いのご計画の中で用いてくださったのです。イサクの生涯もまた神の救いの歴史の中の1ページなのです。

エサウとヤコブが父イサクを葬ったと書かれていますが、この双子の兄弟は父の死によって本当の意味で和解したということを、わたしたちはここで読み取ることができるのではないでしょうか。二人の和解についてはすでに33章に書かれていましたが、二人はそれぞれまた分かれて、エサウは死海の南セイルの地へと帰って行き、ヤコブはヤボク川の近くのスコトに家を建てて住んだと33章に書かれていました。その二人が今父の死という厳粛な事実を契機にして、しかしまた父の死の悲しみを超えて、またここで出会い、共に父を葬ることによって、エサウとヤコブは一緒になって神の救いのご計画の1ページをつづっているのです。

 族長アブラハムは死にました。今イサクも死にました。ヤコブもやがて死にます。しかし、アブラハム、イサク、ヤコブの神は永遠に彼らの神であり続けられます。主イエスはマタイ福音書22章32節でこう言われました。「『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」神はアブラハムと結ばれた契約を、その子イサクに、またその子ヤコブに更新されました。神の約束のみ言葉は彼らの死によっても廃棄されることはありません。彼らの死を超えて有効に更新されます。神の命のみ言葉とその救いのご計画は、彼らの死を超えて永遠に継続されていきます。終わりの日にみ国が完成される日に、神は彼ら族長たちに約束の成就を見せてくださるでしょう。それゆえに、アブラハム、イサク、ヤコブは永遠なる神によって、復活の命を確かに約束されているのです。主イエス・キリストの十字架と復活の命は、信じる人すべての死を超えて、わたしたち一人ひとりにも約束されているのです。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ,あなたが天地創造の時からお始めくださった永遠なる救いの歴史を、み子主イエス・キリストによって完成させてくださることを、わたしたちは信じます。この世界や人間たちの繰り返される罪や悪を超えて、あなたの永遠の救いのみ心が実現されていくことを信じます。

〇願わくは神よ、この世界と、そこに住む人間たちを顧みてください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。