3月27日説教「主イエスにお仕えした婦人たち」

2022年3月27日(日) 秋田教会主日礼拝説教(牧師駒井利則)

聖 書:サムエル記上1章21~28節

    ルカによる福音書8章1~3節

説教題:「主イエスにお仕えした婦人たち」

 ルカによる福音書8章1節にこのように書かれています。【1節】。「すぐその後」とあり、前の個所との連続性が強調されています。その連続性を考えながら、きょうのみ言葉を学んでいきましょう。

 7章36節以下では、主イエスがユダヤ教ファリサイ派の人の家に招待されて食卓に着いている時に、一人の罪深い婦人が主イエスの足元にひれ伏し、その足に香油を塗った。それを見ていたファリサイ派のこの人は、罪深い婦人の奉仕を受け入れた主イエスを非難した。けれども、主イエスはこの婦人は多くの罪をゆるされたから、このような愛の奉仕をしたのだと言われ、彼女に「あなたの罪はゆるされた」と言われた。その場にいた人たちは罪をゆるす権威を持っておられる主イエスに驚いた。これが、36節以下に書かれている内容でした。

 そこで語られていた内容と8章1節との関連を見ていくと、いくつかのことが分かります。第一には、主イエスが人間の罪をゆるす権威を持っておられることと、主イエスが宣べ伝えられた神の国の福音との関連です。すなわち、神の国の福音とは罪のゆるしと関連しているということです。主イエスの宣教活動は、マルコ福音書1章15節では、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という内容でした。ルカ福音書4章16節以下では、イザヤ書61章の預言の成就として、貧しい人々が福音を聞かされていること、捕らわれている人々に解放が告げられること、主の恵みの年が告げられること、それが主イエスの到来によって今成就しているという内容でした。これらのことすべてが「神の国の福音」の内容です。イスラエルの民が信じてきた神、そして全世界の唯一の神が、ご自身のみ子主イエス・キリストによって、今このような恵みと愛のご支配を始められたのです。そこに、罪のゆるしがあり、罪ゆるされた信仰者の新しい命の歩みがあるのです。7章50節で「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた主イエスのみ言葉に導かれた、わたしたちの新しい歩みがここから始まるのです。

 ここでもう一つ重要な点は、主イエスが宣べ伝えられた神の国の福音をわたしたちが聞くということです。聞くとは、単に耳で情報を得るというのではなく、聞いて、信じ、その信じたことにわたしのすべてを委ね、従うということです。8章ではこのあと、神のみ言葉を聞くということがテーマになっています。主イエスは「種まきのたとえ」をお語りになり、8節で「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われ、11節では「種は神の言葉である」と説明され、さらに11節で「良い土地に落ちたのは、立派な良い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである」と、また21節では「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」と教えられました。

主イエスは「神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせた」最初の人でした。神の国のみ言葉の種を蒔いた最初の人でした。そのみ言葉を聞き、信じ、従って生きることによってわたしたちは豊かな実を結ぶことができると約束されています。「あなたの罪はゆるされた。あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」。この主イエスのみ言葉に聞き、信じ、このみ言葉に生きることによって、わたしたちは神の国の民とされ、永遠の命を受け継ぐ者とされるのです。

 主イエスは神の国の福音を宣べ伝えた最初の人であると言いましたが、主イエスは神の国の福音そのものでもあられます。神の独り子であられる主イエスがこの世においでになったその時から、神の国は始まりました。主イエスとともに神の愛と恵みのご支配が始まりました。主イエスがいますところ、主イエスを救い主と信じる人たちが集まっているところに、神の国が実現します。12人の弟子たちはその神の国の福音に生きる最初の人たちとして選ばれ、主イエスと行動を共にしました。

 弟子たちが選ばれたのはそのためにだけではありません。彼らは間もなく、主イエスによって神の国の福音を宣べ伝える宣教者として派遣されます。9章1節からは12人の弟子たちの派遣について、また10章1節からは72人の弟子たちの派遣について書かれています。神の国の福音を聞くために選ばれた弟子たちは、神の国の福音を宣教する人にされます。ここに、教会が誕生します。教会は、神の国の福音の種を最初に蒔かれた主イエスのみ言葉を聞き、それを信じ、そのみ言葉によって生き、そして、教会が建てられているその地にあって、世の人々に神の国の福音を宣教する務めを果たしていく、そのために選ばれた信仰者の群れが教会なのです。

12人の弟子たちから受け継がれてきた教会のこの務めは、今も変わりません。秋田教会が、この地で宣教を開始した130年前から今に至るまで、またこれからのちも、教会はこの務めを果たしていくことによって生きるのです。

 2節からは、数人の婦人たちが主イエスと行動を共にし、主イエスのために奉仕していたことが語られています。【2~3節】。これは、ルカ福音書にだけ書かれているルカ特有の記事です。ルカ福音書が「婦人の書」と言われる理由の一つです。ルカ福音書では、共観福音書であるマタイ、マルコよりも、あるいは第四福音書と言われるヨハネ福音書と比較しても、婦人たちの活動が数多く記録されています。主イエスは神の国の福音を宣べ伝えるために、12弟子と共に多くの婦人たちをもお用いになりました。

 けれども、主イエスが婦人たちと一緒に宣教活動をされたということは、当時の人々にとっては異常に映ったに違いありません。というのは、当時の社会では婦人は政治や宗教活動から遠ざけられていたからです。宗教的指導者が婦人たちと一緒に行動するということは恥ずべきことだと考えられていました。けれども、主イエスの場合には違っていました。主イエスにとっては、また主イエスが宣べ伝えた神の国の福音にあっては、男と女の違いや区別はなく、民族の違い、貧富や社会的地位、その他どんな人間の違いであっても、それらは全く問題ではありませんでした。すべての人は、主イエス・キリストにあって一つとされ、すべての人は神の国の福音によって罪ゆるされ、救われ、神の国の民をされるからです。使徒パウロがガラテヤの信徒への手紙3章26節以下で教えているとおりです。【26~28節】(346ページ)。

 主イエス・キリストの福音はわたしたちを罪の奴隷から解放し、この世のあらゆる束縛からも自由にします。この世の富や社会的地位や名誉などに縛りつけられている生活からわたしたちを解放し、政治形態や民族、宗教などの違いから生じる対立や争いから社会を解放し、すべての人、すべての国を、神の国の福音の中で、自由と喜びとをもって共に生きる歩みへと導くのです。いわゆる婦人解放運動とか、民族解放運動とか、その他の自由と解放を目指した社会運動のすべても、主イエス・キリストの神の国の福音に基礎づけられている時に、本当の意味での解放となるのです。

 2節と3節に挙げられている婦人たちについて見ていきましょう。マグダラの女と呼ばれるマリアは主イエスによって七つの悪霊を追い出していただいたとありますが、彼女がいやされた記録そのものは福音書には書かれていません。マグダラはガリラヤ湖の西側にあった町で、彼女が「マグダラの女」と呼ばれていたことから、その町でよく名が知られていた婦人であったと思われます。彼女が有名になったのは、第一には彼女がたくさんの悪霊に取りつかれており、その姿がほとんど人間とは思えないような、悲惨で、残酷で、本人にとっても周囲の人たちにとっても、見るに堪えないほどの苦しみと痛みとによって苦しめられていた人であったからです。しかし、彼女を有名にしたのは、それほどの悲惨さと苦悩から、主イエスによっていやされ、救われ、しかも今は主イエスのために喜びをもって、生き生きとしてお仕えしているという、その驚くべき大きな変化を、多くの人が見ていることにもその理由があったと思われます。主イエスが7章47節で言われたように、彼女は主イエスによって多くの罪をゆるされたから、多くの愛をもって主イエスにお仕えするようになったのです。

 マグダラのマリアだけではなく、他の婦人たちも「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた」という、大きな感謝をもって、主イエスにお仕えしていました。彼女たちは悪霊の支配のもとで生きる生活から解放され、主イエスの救いの恵みのご支配の中で、その救いの恵みに対する感謝の思いをもって、新しい歩みを始めたのです。

 二人目に名前を挙げられているのは、「ヘロデの家令クザの妻ヨハナ」です。ヘロデとは、主イエスが誕生した時のユダヤの王ヘロデ大王の4人の息子の一人で、洗礼者ヨハネの首をはね、主イエスの裁判に立ち会った、ガリラヤ地方の領主ヘロデ・アンティパスのことです。夫であるクザが領主ヘロデに仕えていたことから察すると、社会的地位があり裕福であったと思われますが、その妻であるヨハナが主イエスによって病をいやされ、主イエスにお仕えすることになったのでしょうが、その後夫との関係はどうなったのか、夫は彼女に賛成したのかなどは分かりません。いずれにしても、彼女は今や主イエスが宣べ伝えておられた神の国の福音に生きる信仰者であり、その福音のために自分自身と持っているものすべてを主イエスにおささげする新しい歩みを始めたのです。

三人目の婦人スサンナはここ以外には聖書の中にはその名はありませんが、おそらく初代教会ではよく知られていた婦人だったと思われます。この3人のほかにも多くの婦人たちが主イエスと行動と共にしていたと書かれています。主イエスの一行は少なくとも10数人、婦人たちも含めると20人ほどのグループで、町々村々を移動しながらの共同生活ですから、それを支えるのは経済的にも人的にもそれなりのものが必要だったはずです。幸いにも、これらの婦人たちが「自分の持ち物を出し合って」主イエスと弟子たちを支えていたのでした。彼女たちもまた、このようなかたちで神の国の福音宣教の働きのために仕えていました。彼女たちもまた、「あなたの罪はゆるされた。あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」との主イエスのみ言葉によって、新しい歩みを始めたのです。神の国の福音に生きたのです。

ルカ福音書では、この婦人たちはこのあと何度も登場します。主イエスの十字架の場面で、【23章49節】、主イエスの葬りの場面で、【23章55~56節】、主イエスの復活の場面で、【24章8~11節】、彼女たちはそれらの目撃者となりました。彼女たちは主イエスの十字架の証人となり、主イエスの葬りの証人となり、そして主イエスの復活の証人となり、そのようにして神の国の福音のために仕えたのです。わたしたち一人一人も、主イエスの復活の証人として、神の国の福音のためにお仕えするように召されています。

(執り成しの祈り)

〇天の父なる神よ、あなたは取るに足りない、いと小さき者であるわたしたちを選んでくださり、神の国の福音の奉仕者として立てていてくださいますことを覚え、心から感謝いたします。願わくは、わたしたちをあなたのみ言葉によって強め、聖霊によって武装させ、神の国の証し人としてみ心のままにお用いください。

〇主なる神よ、この地にまことの平和を来たらせてください。人間の罪と傲慢、欲望や邪悪な思いをあなたが取り除いてくださり、あなたにあるゆるしと和解をお与えください。

主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

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